4月24日(日) 礼拝メッセージ要旨
「背後の御声」 ヨハネの福音書 20章1~18節
東日本大震災から1ヶ月半が経ち、本格的な復興に向けて動き出す人達に、国内、国外から寄せれている言葉が「がんばれ」「希望」「勇気」「ストロング(強く)」などの言葉でありました。どの言葉も「前向きに!」という励ましの意味を込めたものであります。困難な状況に出会って、気持ちが落ち込んでいるようでは確かによくありません。この時を好機と受け止める積極的な前向きの姿勢が求められます。 本日の聖書に登場しますマグダラのマリヤは、ある意味で「後ろ向きに」生きようとした女性でした。主イエスによって、七つの悪霊に憑りつかれていた重い心身病の病状が癒され、心身ともに救われ、それ以後は、主イエスと弟子たちとの群れに身を置き、奉仕しつつエルサレムまで従ってきました。十字架の下で主イエスの死を目撃し、埋葬に立ち会い、そして今、復活の場面にマリヤの姿がありました。そのマリヤは「泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。」(ヨハネ20:11)のです。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか私たちにはわかりません。」と「どこに置いたのか」という言葉を三度繰り返しております。(ヨハネ20:2、13、15)マリヤにとって主イエスは、いまや彼女の生き甲斐でありました。その主イエスが十字架で殺されてしまったことは、自分の人生の中心が失われ、生きる希望を失ったことを意味します。マリヤは過去を振り返り、失ったものにとらわれ、嘆き悲しむのです。そんなマリヤに復活された主イエスは前からではなく、後ろから「マリヤ」と声をかけられたのです。マリヤは最初に後ろを振り向いた時は、主イエスが立っておられるのを見たにもかかわらず、それが主イエスだとわかりませんでした。(ヨハネ20:14)二度目に主イエスが、マリヤの名前を呼ばれた時、マリヤは振り向いて、「ラボニ」(先生)と呼びかけ、主イエスであることがわかりました。マリヤは主イエスを捜し求めて、後ろを振り向いていたのです。しかし、そういうマリヤの後ろに復活のイエスはすでに立っておられたのです。そしてマリヤの後ろから声をかけられました。その復活のイエスにマリヤは「ラボニ」と応えたのです。それは主イエスに見守られ、生かされていたのだという、告白の言葉でもあったのです。このことは、私たちが『前向き』に生きるだけでなく、『後ろ向き』に振り返りながら生きる人生もあるということを示しているのではないでしょうか?私たちが『後ろを振り返る』ということは、何か反省したり、慎重な行動をとるためでは決してないのです。それは今日まで主に守られ、支えられ、生かされてきたことへの感謝と、主の恵みの確かな手答えを味わうための『後ろ向き』であり『振り返り』なのです。その意味で私たちは『前向きに』という生き方とともに『後ろ向きに』『後ろを振り向く』必要が信仰の歩みにおいて大切であることを覚えたいのです。