4月3日(日) 礼拝メッセージ要旨
「最後まで耐え忍ぶ者」 マルコの福音書13章1~13節
東日本大震災の映像は、驚きと心臓を貫かれるような衝撃を人々に与えました。テレビで放映された生々しい震災の映像は、決して記憶から消えることはありません。あの映像に「小黙示録」と呼ばれている、マルコの福音書13章のキリストが語られた、世の終わりの光景が二重写しとなって迫ってきます。 キリストは壮麗な神殿が崩壊することを預言されました。(マルコ13:2)その預言どおり、紀元70年にローマ軍によってエルサレムの神殿は崩壊しました。人間が造ったものはことごとく崩れ去り、破壊され、消滅するというキリストの言葉が実証されたのです。そして今の時代に生きる私たちにとって、東日本大震災は、警鐘を鳴らす出来事として起こったのです。人間の英知を結集して生み出した最先端技術の原発の施設、建造物、漁船も車も、そして30億円もかけて造られた防潮堤の全てが壊滅状態になりました。これらの震災を前にして「これは想定外の出来事」であったという言葉が何度も語られました。しかしキリストがマルコの福音書13章で語っている世の終わりに関する事柄は、決して想定外のことではなく、必ず起こる出来事であります。そのことを私たちは東日本大震災の惨事を通して認識しなければならないのです。そのためにキリストはマルコの13章の後半で「気をつけていなさい。」(マルコ13:23,33)「目をさましていなさい。」(マルコ13:33,34,35,37)「注意していなさい。」(マルコ13:33)と言葉を連ねて私たちの心を呼び覚まし、この時代をどのように生くべきかを語っておられるのです。そしてこの苦難の時にあって、私たちが貫くべき信仰者としての姿勢は『最後まで耐え忍ぶ人』であれということです。『耐え忍ぶ』という言葉は、聖書の中に何度も出てくる信仰者の特質を表す言葉です。『耐える』とは「ある物の下にじっと留まる」という意味を含んでおります。そこから逃げ出さないで、そこでじっと踏み止まるのです。この『最後』とは一つは自分の死のことです。「自分の死に至るまで立ち続ける」ということです。またこの『最後』とは、私たちの救いの完成の時を意味します。この世の終わりは、救いの完成の時なのです。その望み、その喜びに生きるために『最後まで耐え忍ぶ』のです。 改めて私たちは東日本大震災を通して、神が私たちに何を語り、何を教えようとされているのか、その意味をひとりびとり深く考え、受け止め「目をさまし、注意して」今の時代を生き続けなければならないのです。