礼拝メッセージ

7月2日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「主を恐れ敬う」              Ⅱサムエル記 6章1〜11節
ダビデはついにイスラエル全体の王となりました。イスラエルは7年6ヶ月の間、南のユダ部族と北の11部族に分かれていまして、その間戦いもありました。ダビデがイスラエル全体の王になることによって統一したのですが、内部的には、まだ一つとなれなかったところもあったと思います。そのため、ダビデはエルサレムを攻め取ってイスラエル全体の中心となる首都とし、イスラエルが一つとなることを願いました。そして今日の本文では神の箱をエルサレムに運び入れますが、それを通して信仰においても一つとなり、ダビデの統治理念をみことばに置き、国全体がみことばに従うことで一つとなる、そのような国を立てていこうとした、と思われます。
2節を見ますとダビデはユダのバアラ(キルヤテ・エアリム、Ⅰサムエル記7:1)に行き、神の箱を新しい荷車に乗せました。そしてウザとアフヨが荷車を御した、と書いてあります。長い間、神の箱はユダのバアラ(キルヤテ・エアリム)に置かれていましたが、エルサレムに運び出すということでダビデもイスラエルの民の非常に喜ぶことでした(5節)。
ところが、その喜びは悲劇に変わりました。荷車を御していたウザが神の箱を掴んでしまい、それによってウザはその場で死んでしまったのです。この時、牛がよろめいたため、神の箱はひっくり返りそうになったので、ウザは神の箱が落ちることを防ぐために掴んだのです。しかし、そのようなウザについて、7節を見ますと「過ち(不敬の罪、第3版)」と書いてあります。
律法の規定によりますと、本来神の箱は触れてはならない、見てはならないものでした。ウザは神の箱が荷車から落ちることを守るために掴んだのですが、しかしそれは神様からの律法を破ったことになります。善意を持ってやったとしても触れてはならないと命じられたものを触れてしまったことになります。そのウザの行為は不敬の罪だったのです。
私たちは神様を恐れ敬い、そのみ教えを正しく心から守っているでしょうか。私たちはウザのようであって、守るところか破っています。それでもこのように神様の子とされたことは全てイエス・キリストのゆえです。私たちの全ての罪を背負って十字架につけられ、全ての罪を贖って下さった恵みのよって、私たちの全ての罪は赦され、神様の子とされたのです。この恵を心から感謝し、喜びを持って神様のみことばに従って歩んで行きたいと思います。

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