5月8日(日)礼拝メッセージ要旨
「イエスさまについて行く」 マタイの福音書 8章18〜22節
本日の本文には二人の弟子が出て来ましてイエスさまについて行きますと話します。イエスさまはその二人に「イエスさまについて行く」ということがどのようなことであるのかを教えます。その教えを通して私たちの信仰を振り替えて見たいと思います。
まず一人目の人ですが、彼は「律法学者」と書いてあります。福音書を見ますと多くの律法学者はイエスさまに対して敵対する姿を見せています。少し前にある「山上の説教」でイエスさまは律法学者たちの教えの誤りについてことごとく指摘なさったことがありました。その他、彼らの偽善について厳しく話されたこともありますが、そのようなイエスさまを律法学者たちは敵対するようになったことだと思います。そのような律法学者たちの中からイエスさまに「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」と話したことは非常に嬉しいことだと思います。
しかし、イエスさまの答えは「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」と予想外のことでした。これはどういう意味でしょうか。それはこれからイエスさまが歩まれる道は非常に大変で不安定だということであり、そのような道でもわたしについてくる覚悟を持っているのか、と確認されることです。
二人目のイエスさまに「主よ。まず行って 父を葬ることを お許しください。」と話しました。彼にイエスさまは「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを 葬らせなさい。」と答えられます。このイエスさまの答えは非常に冷たく聞こえるかも知れませんが、しかしここでイエスさまが語られることは弟子としての優先順位のことです。二つのやるべきことの中で何を優先するのか。弟子であるものは、まず「わたしに従って来なさい。」という教えです。
イエスさまについて行く私たちはどのような覚悟とどのような優先順位を持っているでしょうか。私たちのためにすべてをささげてくださったイエスさまの恵みに感謝し、いつも私たちに励ましと力を与えてくださるイエスさまを見上げ頼って、どんな時でもイエスさまについて行く者になりたいと思います。