礼拝メッセージ

8月29日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「神様の選びの恵み」                創世記25章19〜34節
創世記のヤコブの物語を読んで見ますと、ヤコブは時には狡猾で時にはずる賢く思われることがあります。その姿は聖書に出てくる多くの人物の中で、他にはないくらいこととも思われますが、そのようなヤコブを選んでくださった神様の恵みについて考えてみたいと思います。
創世記24章をみますと、イサクとリベカの出会いは神様の不思議な導きによるものでした。アブラハムは信仰によってイサクに相応しい妻を探し求め、その答えとして出会うようになったのがリベカでありました。イサクは神様からの約束を受け継ぐ者であり、リベカは祈りの答えとして出会うようになった者である、そのような二人が結婚して家庭を作る、その家庭には神様からの豊かな祝福があるだろうと期待されることだと思います。
しかし、その道は順調ではなくて、リベカは「不妊の女」と書いてあります。イサクが結婚したのは40歳でしたが、彼らに双子が生まれたのは60歳のことでした。ですから20年間子どもは与えられなかったことであって、その間、イサクは神様に祈りを捧げました。そのようなイサクの祈りを聞いてくださる神様、その神様はご自分の御計画の中で、神様の時となった時、リベカが身ごもるようにしてくださり、双子が生まれるようにしてくださったのです。20年の間、一つの祈りの課題を覚えて祈り続けることは大変なことだと思います。しかしイサクは、父アブラハムから伝えて聞いた神様、自分がモリヤの山で経験した神様、そして妻リベカを出会うようにしてくださった神様を信じ、祈り続けたことだと思います。
時が満ちて双子が生まれますが、兄はエサウと弟はヤコブと名付けられます。二人は成長してエサウは狩人となり、ヤコブは穏やかな人となりました。そして29〜34節である出来事が起こりますが、そこに現れていることは、エサウは長子の権利を簡単に諦めること、そしてヤコブは異常に欲しがっていることです。結局、煮物一皿で、エサウは長子の権利を売ってしまい、ヤコブは自分のものにしてしまいました。本来、長子の権利というのは神様から与えられるもので神様からの恵みです。そのような神様の恵みをエサウは軽く思い、ヤコブはずる賢い方法で自分のものにしようとしたのです。
私たちは神様からの恵みをどのように思っていることでしょうか。私たちをご自分の民として選んでくださった恵み、神様からの愛、そして救いはただで頂いたものです。その恵みを覚えて感謝し、神様の教えにしたがって神の民に相応しく歩んで行く者になりたいと思います。

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