礼拝メッセージ

1月31日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「変えられた者」              ルカの福音書19章1〜10節
人は誰も自分の人生や、その姿がより良いものに変えられることを願います。しかし変えられることを願いますが、同時にそれが難しいと痛感する時があります。中々変わらない自分の姿などによって失望する時もあります。私たちは本日の本文でザアカイの変えられた姿を見ることができます。そしてそれはイエスさまとの出会いによって、ということでした。
ザアカイという名前は「正しい」「きよい」という意味を持っています。ザアカイは名前の意味のような人生を生きてきたことでしょうか。2節の「収税人のかしらで、金持ちであった」という紹介から、そうでなかったことが分かります。当時の収税人はローマ政府により税金を取ることができる力が与えられていました。そしてローマ政府には決まった税金を送れば良かったので、人々には決まった税金より多く取ることが出来ました。多くとって残りを自分のものにしましたので、税金をたくさんとれば取るほど金持ちになることが出来ました。しかし、そうすることによって同族のユダヤ人からの非難なますます大きくなったことだと思います。金持ちであった、ということからザアカイは富と力に執着して行ったことだと思います。何故なら、その富と力さえあれば幸せになり、自分の全てが満たされると思っていたからだと思います。
しかし、そうではありません。ザアカイも富と力で満たされないものがある、ということを知り、イエスさまについて聞いてこのお方ならその答えがある、と思ったことだと思います。その思いからザアカイはイエスさまを見ようとしましたし、大勢の人々がいたにも関わらずいちじく桑の木の上まで登ったことではないでしょうか。そしてイエスさまにであった時に、彼の心はイエスさまによって満たされたことでした。それによって人生の中で最も大切にして来たものを、他の人々のために施し返すようになりました。何故なら、もうイエスさまによって自分の心が満たされたからです。そのようにイエスさまによって満たされ、その人生が変えられた者、その人をイエスさまは「アブラハムの子」、即ち信仰の人と話してくださいます。私たちの人生もイエスさまに聞き、このお方によって満たされ変えられて行きたいと思います。

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