12月27日(日)礼拝メッセージ要旨
ヨハネの手紙 第一 2章15〜17節 「神のみこころを行う者」
本日は2020年最後の主日礼拝となります。新しい期待と希望をもって始まった2020年も数日を残しています。特に2020年は他の年より早く過ぎ去ったような感じですが、皆さんはどのように過ごされたでしょうか。2020年が終わって行くこの時に、皆さんの記憶に残っていることはどのようなものでしょうか。私たちは2020年を終え、新しい年を迎えます。この時に、本日の本文を通して私たちの人生の中で残すべき姿についてともに考えてみたいと思います。
まず、使徒ヨハネは跡形も残らずなくなる人生についてこの世を愛する人生であると語らいます。本文の15節。「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。」ここでの「世」とは、神さまによって造られたものですが神さまに逆らうものです。空中の権威を持つ者が支配する世であり、暗闇の中で神さまに逆らい、神さまを拒むものたちを表します。そのような「世」は神さまを知らず、神さまを憎み、神さまの民をも憎みます。そのような世を愛する者には15節に書いてありますように、神さまを愛する愛はないのです。この世を愛し、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などに落いているならばこの世の栄や楽しみはいつまでも続くものだろうと思うようになります。しかし、そうではありません。17節をご覧になりますと、この世とは滅び去るものです。跡形も残らずなくなるものです。暫くたちますと過ぎ去ってしまう空しいものなのです。
この世は霧のように滅び去るものです。そしてその世を愛することは空しいことです。勿論、神さまが私たちに与えてくださった人生を楽しみ喜びの中で生きて行くことはとても大切です。しかし、この世と世のものに執着し、それについての欲に落いるようになりますとその人の人生は空しさで終わってしまうかもしれません。ですから神の民である私たちは、神さまのみを愛し、神さまのみこころを行う者にならなければなりません。その人はいつまでもながらえる、即ち永遠に生き続けるからです。イエスさまが教えて下さったように、神を愛し隣人を自分自身のように愛する、その愛を実践するものになり、その愛を残す者になりたいと思います。