礼拝メッセージ

3月15日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「お一人の神様」              マタイの福音書23章1〜12節
本日の本文は律法学者とパリサイ人たちに対するイエス様からの厳しい批判の内容です。特にマタイの福音書23章はイエス様の「わざわいだ」という表現で良く知られている箇所でもあります。13節以降で7回以上出てきますが、イエス様は律法学者とパリサイ人たち、またはユダヤの指導者たちに対して節ごとに、そして段落ごとに「わざわいだ」と語っておられます。勿論、以前からイエス様はパリサイ人たちの偽善などについて批判し、正しい姿について教えてくださいましたが、この23章では彼らの罪について今までとは違って大変厳しく指摘しておられます。
まず、イエス様は「彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。」と仰います。そしてその理由として彼らはモーセの座を占めているからだと説明されます。これはパリサイ人たちがモーセの役割をしているということです。昔、モーセが神様よりみことばを頂き、それをイスラエルの民に伝え教えたように、ということです。そういう役割としてのパリサイ人たちの言うことは行い守るべきだ、ということだと思います。パリサイ人たちにそのような役割を任せてくださったのは神様です。ですから彼らが任された役割を十分に忠実に行うとき、それは守らなければならないことでしょう。
しかし、問題はパリサイ人たちがその役割に十分に、そして正しく行っていなかったことでした。彼らは言うだけは言って自分たちは実行しなかったのです。それでイエス様は「彼らの行ないをまねてはいけません。」と仰い、パリサイ人たちの実際の姿について説明して下さいます。
そして私たちが見上げるべきお方、学ぶべきお方について教えてくださいます。8節〜10節でイエス様はただお一人の教師であられる神様、お一人である父なる神様、お一人である指導者なるキリストについて語られます。聖書を通して私たちが歩むべき道を教えてくださり、その道へと導いてくださる神様、そして計り知れない愛をもって私たちを励ましてくださる父なる神様を覚えて歩んでいく者になりたいと思います。

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