1月27日(日)礼拝メッセージ要旨
「金持ちとラザロ」 ルカの福音書16章19-28節
本日の本文は非常に有名な例え話です。教会学校のお話しでも良く聞くことが出来る内容であって、皆様もご存じの内容だと思います。それでも改めて例え話の内容を確認し、私たちに与えられる教えを考えて見たいと思います。
先ず、イエス様は金持ちについてお話しして下さいます。金持ちは「いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。」と書いてあります。紫の衣や細布は非常に高価の服でありまして、いつもそのような服を着ていて、毎日ぜいたくな宴会を開いていたということです。それは、彼は物凄い金持ちであるということが強調されている説明でありまして、この話しを聞いていたユダヤ人たちは、彼は神様から大きな祝福を頂いていると思ったことでしょう。そのような金持ちの家の門の前にラザロという人がいました。ラザロは全身におできがあってとても貧しい人でした。病気のため何も出来ず、門の前に横になっていて「金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っている」大変な状態でした。
金持ちとラザロは一つの空間にいましたが、まるで別世界で生きていたのです。ところが二人に同じことが起こりましたが、それは「死」ということでした。そしてその死後の状態は、生きている時とは全く違う物でありました。この世で病気や貧しい生活で大変であったラザロは御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれましたが、金持ちは永遠の苦しみのハデスに落ちたのです。このような結果になったのは何故でしょうか。ラザロはこの世での姿は誰よりも貧しくて悲惨なものでしたが、しかし救いという神様の恵みを頂いていたことでしょう。そして金持ちは毎日何一つ足りないもののないぜいたくな生活をしていましたが、しかし神様の恵みは頂くことは出来なかったのです。結局、金持ちは神様のみことばに聞かず自分勝手な生活していたのです。その反面ラザロは大変な生き方の中でも神様のみことばに耳を傾け、神様だけを見上げ、神様だけに頼ったのです。私たちも大変なことがあっても神様竹の頼り歩む者となりたいと思います。