11月18日(日)礼拝メッセージ要旨
「永遠の栄光をもたらす」 コリント人への手紙第二4章16〜18節
本日の本文でパウロは「私たちは勇気を失いません。」と語ります。私たちは自分の人生が期待や望み通りにならない時、勇気を失うようになり、失望することになります。そしてそれは結局、落胆することです(口語訳や新改訳2017では「落胆しません」と翻訳されています)。ところがパウロの人生をよく考えて見ますと、勇気を失わない、落胆しない、ということはそんなに簡単に言えることではありません。パウロがコリントから離れてエペソに行った後、コリントからの知らせは決して良いことではありませんでした。偶像崇拝や道徳的堕落、またパウロのことを疑うということなどでした。そのような知らせを聞く度に落胆するようになると思います。しかし、パウロは「落胆しません」と語っていますが、それはどうしてでしょうか。
先ず、パウロは内なる人が日々新たにされていることを覚えていました(16節)。人間の肉体を含めてこの世の物は、すべて有限なものであり衰えていきます。Ⅰペテロ1章24節に書いてありますように、この世のものはいつかは無くなるものです。そのようなこの世の物、あるいは衰えて行く肉体ではなく、神様が日々新たにしてくださる内なる人を覚えたということです。二つ目にパウロは、今の時の歩い患難ではなく重い永遠の栄光を覚えていました。今の苦しみ、今の悩み、今の大変な問題など、それは非常い苦しいものです。しかし永遠の栄光に比べますと、それは軽いものですし、一時的なものなのです。パウロは、今の患難は永遠の栄光をもたらすということを覚えて、患難の中においても永遠の栄光を見上げていたのです。そして最後に、パウロは目に見えるものではなく、目に見えないものを見て生きて行きました。
今の私たちの人生には、私たちを落胆させるものが多くあります。病気や苦しみ、悩み、悲しみなど。その中で私たちは永遠の栄光が与えられるということを覚えて生きて行くものになりたいと思います。