12月17日(日) 礼拝メッセージ要旨
「私たちのために生まれた神」 イザヤ書9章1-7節
12月のこの時期、全世界はクリスマスによって騒いでいます。私たちが生活しているこの名古屋もあちこちにクリスマスツリーがあり、メリー・クリスマスという言葉が普通に言われています。しかし、そのような所にクリスマスの本当の意味であるキリストはおられません。というのは、そこには真の光であられるイエスさまを知らないままクリスマスを楽しみ喜んでいるからです。それでは、クリスチャンである私たちは、この世の中で生きて行きながら真の光であられるイエスさまを心に覚えて生きているでしょうか。この12月、町中がクリスマスにはまっている中で、クリスマスの本当の意味を覚えて、この地に来られたイエス・キリストによって喜んでいるでしょうか。私たちのためにお生まれになった神、その真の光に照らされた者であれば、それによる喜びが私たちの生き方を通して現れるべきであると思います。
そしてそれは、もはや以前の暗やみや死の陰を歩いている姿ではなく、光に照らされて将来への望みと喜びを見上げて歩んで行く姿です。本日の本文を見ますと光に照らされる前とその後の姿が明確に分かります。以前は暗やみの中で辱しめられましたが、しかし今は光を見て光に照らされ、楽しみ喜んでいます。それは他の理由によってではなく、ひとりのみどりごが私たちのために生まれ、私たちに与えられたからです。そのお方は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれますが、私たちを愛して下さる神さまは、私たちのためにこのお方を遣わしてくださったのです。
ところが、私たちは毎日、このお方によって照らされた者として喜びを持って生きているのでしょうか。また将来の希望、望みを与えられた者としてその望みによって喜びと感謝の中で生きているでしょうか。たとえ、私たちの毎日が暗やみそのものであっても、光であられるイエスさまを覚えて将来の希望を見上げて歩んで行く者となりたいと思います。