11月05日(日) 礼拝メッセージ要旨
「神に喜ばれる者」 ヘブル人への手紙11章1-6節
本文の6節を見ますと神様に喜ばれる者は信仰がなくてはならない、と書かれています。その信仰は、同じく6節を見ますと「神がおられること」と「神を求める者には報いてくださる方であること」を信じることであると説明されています。そして神様に喜ばれていた者としてエノクについて説明しています。エノクは創世記5章に出て来ますが、彼に関する内容はただの3節だけです。本当に短い内容ですが、エノクは神様とともに歩んだ、と書かれています。即ち、罪が増大していた世の中で神様がおられること信じ、その神様を信頼し、神様を覚えて生きていたということです。そのようなエノクについて本日の本文では、神に喜ばれていることが証しされていた、と書かれています。
それでは罪人である私たちは、何を通して神に喜ばれることが出来るのでしょうか。それは礼拝を通してです。本日の本文にもう一人の神に喜ばれた者が出て来ますが、彼は4節のアベルです。アベルについては、アベルがささげたいけにえによって、義人であることの証明を得ったと書かれています。そしてカインとアベルのいけにえを比べながら、アベルはカインより優れたいけにえをささげ、そのささげものは神様に良いささげものだと証しされたと書いてあります。同じささげものであってより優れたささげものがあり、神様によいささげものだと認めて頂けるささげものがあれば、そうでないささげものもある、ということです。そしてそんな中で神様が喜ばれるささげものがあるということです。
本文の4節には、その違いを「信仰によって」ということばをもって説明しています。信仰によってアベルはカインよりもすぐれたいけにえを神様にささげたし、神様はそのいけにえを喜ばれたということです。私たちがささげる礼拝はどうでしょうか。悪に満ちているこの世の中で、私たちは神様がおられることと神様を求める者に報いてくださるお方であることを信じて、神様に礼拝をささげる者になりたいと思います。