9月24日(日) 礼拝メッセージ要旨
「よみがえりのイエス様」 ヨハネの福音書11章17-27節
本日の本文は、愛する兄弟を失った二人の姉妹と、その死の悲しみが家に満ちている場面で始まります。彼らはイエス様が愛するマルタとマリヤ、そしてラザロです。11章1節を見ますと、ラザロは病気にかかっていましたが、それは軽いものではありませんでした。お兄さんの病気を心配したマルタとマリヤはイエス様に人を送り、その病気の事を伝え、イエス様に助けを求めました。しかし本文の17節を見ますと、そのラザロは「墓に入れられて四日もたっていた」と書かれています。死による絶望と悲しみに満ちているところで、イエス様はラザロをよみがえらせるという奇跡を行ないます。そしてそのとてつもない悲しみと信じられない奇跡の中で、イエス様との会話を通してマルタの信仰が変わることを見ることが出来ます。
本文の20節、21節、そして24節でのマルタの話しを通してマルタが持っていたイエス様についての思いを知ることが出来ます。マルタはイエス様がラザロの病気を癒すことが出来ると、そして神様に求めば何でも頂くことが出来るお方と知っていました。そして復活のことについても知っていたのです。ところが、20節や21節、そして24節でのマルタの答えは、マルタの信仰を言い表す事より、イエス様に対するうらみを話しているように聞こえます。何故、そのようなみ力を持っておられるイエス様がラザロが死なないうちに、或いは手を使うことが出来る時に来られなかったのですか、と。終わりの時の復活は知っていますが、しかし今ラザロは死にました、とです。
そのように思っていたマルタに、イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」と、ご自分について教えてくださいます。そしてその後のマルタの答えは「あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」ということになりました。死と言う悲しみの中でもよみがえりのイエス様を信じ、その信仰によって堅くたつ者になりたいと思います。