4月23日(日) 礼拝メッセージ要旨
「苦い水も甘くなる」 出エジプト記 15章22-27節
私たちの生涯の中で、ある時は自分の願いとは全く違うところ、想像もしなかったところに立っている時があります。そこは本日の本文に出て来る「マラ」のようなところかも知れません。飲める水がなくて乾ききっていますが、目の前にある水は苦くて飲むことが出来ない、どうにもこうにも出来ない状況に置かれる時があります。そのような時、私たちは如何すればその問題を克服して神様が約束してくださった祝福の地に向かうことが出来るでしょうか。本日の本文を通して共に考えて見たいと思います。
先ず、私たちは救われた後にも、私たちの人生には荒野の道を歩んで行くという事を覚えなければなりません。イスラエルの民は葦の海を渡るという大きな奇跡を経験しました。どころが、大事な事は葦の海を渡ったということで約束の地までの旅が終わった事ではないということです。それは、実は新しい旅の始まりであったのです。そしてそれは荒野への旅の始まりでありました。ですから、救われて神の民となった私たちは信仰の荒野の道を歩んでいることを覚えて、その中で火の柱と雲の柱で私たちを守り導いてくださる神様に寄り頼まなければなりません。この信仰の歩みにおいて必ず必要なものがありますが、その一つ目は祈りです。それも神様に叫ぶ祈りです。イスラエルの民からつぶやきを聞いたモーセは神様に叫び祈りました。その時、神様はモーセの叫びを聞いてくださり答えてくださったのです。エレミヤ33章3節で神様は、私たちに答えてくださることを約束してくださいました。ですから、私たちの叫びを聞いてくださる神様に祈らなければなりません。もう一つは神様の御声を聞き、その御言葉に従うことです。本文でも、ただの「一本の木」に過ぎないものでしたが、神様の御言葉に従い行なった時、苦い水が甘い水に変わる奇跡を経験することが出来たのです。
現在、マラの苦い水を飲むような苦しみの中にいますか。先が見えない暗やみの中で、希望を失いつぶやいているでしょうか。そのような人生の苦い水をも甘く変えてくださる神様を覚えて、その神様に導かれる者になりたいと思います。