11月20日(日) 礼拝メッゼージ要旨
「湖の上を歩かれる」 マタイの福音書14章22‐36節
私たちの人生において苦難というのはどういう意味でしょうか。そして私たちはその苦難についてどのような考え方をもっているでしょうか。可能であれば、自分の人生では味わいたくないものであり、そのような状況におかれたくないと言うのは苦難についての一般的な考え方だと思います。しかし私たちが生きて行く人生は海のようなものであって、ある時はとても静かで穏やかな時があればある時は荒い風や大きな波がたって如何すれば良いのか分からない大変な時もあるでしょう。このような苦しみの時に、又はそのような状況におかれた時、クリスチャンである私たちは如何すれば良いのでしょうか。
ある方は苦難について次のように話しました。「苦難は実に重い重荷だ。しかし良く考えて見ると、それは鳥にとっての翼のようなものでもあるし、さらには船の帆のようなものだ。人は苦難を通して空高く飛んだり海の向こうまで至ったりすることもある。このようにして私たちは苦難を通して神様に帰る事もあるのだ。苦難は私たちの敵のように見えるが、実は私たちのためのものであり、私を苦しめるように見えるが実は私たちへの愛の現れなのだ。」
本日の聖書は、弟子たちがガリラヤ湖の向かい風の中で悩まされていた時にイエス様が彼らに行かれたと記されてします。また、イエス様の命令を信じ従って水の上を歩けたペテロが、風を見て恐くなり沈みかけた時にイエス様がみ手を伸ばして彼を取って下さったことが出て来ます。このようにイエス様は弟子たちが悩まされ、苦しみの中にいる所に来て下さるお方なのです。また、ペテロが沈みかけていて必死に助けを求めている所に来られて、み手を伸ばして下さるお方なのです。私たちが人生の苦しみ、苦難や試練の中にいる時、そこに来てくださって「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と話しかけてくださるお方である事を覚えまして、そのお方に頼りつつ、歩む者となりたいと思います。