礼拝メッセージ

9月18日(日) 礼拝メッゼージ要旨

 

「しるしを求める人々」            マタイの福音書12章38-45節

 福音書には奇跡を通してイエス様のメシヤであるしるしが沢山示されています。そのしるしが沢山あるにもかかわらず、他のしるしを求める人々がいました。本文の38節を見ますと、「律法学者、パリサイ人たちのうちのある者が」イエス様にしるしを見せてもらいたいと求めています。そしてその言い方を見ますと非常に丁重な表現のように見えます。しかし、今までの彼らの姿を見ますと、そこには決して良い意図はなかったと考えられます。口では「しるしを見せていただきたい」と言いながらも、心の中では全く違う思いを持ってしるしを求めたのです。
 それに対してイエス様は「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています」と仰います。「姦淫」という表現は、旧約聖書では偶像崇拝のことを現わします。ですから「姦淫の時代」とは、神様を神様として信じない人々、またはそのような人々が生きている時代という意味です。そしてそういう人たちは「しるしを求める」とあります。「しるしを求める」というのは、信じない時や認めない場合にそうする事だと思います。即ち、神様を神様として信じないので神様に対して神であるしるしを求めるようになるのだと思います。そしてイエス様が示して下さったのは「ヨナのしるし」でした。ヨナのしるしとは、神様はキリストを十字架と復活を通して罪人を救うために送って下さったということです。そしてその神様のみこころに従ってこの地に来られたお方がイエス様であるというしるしなのです。即ち、人々は神様に対して姦淫の罪を犯し、神様を信じていないが、神様はそんな罪人のために御子キリストを送って下さってその愛を示して下さったのです。
 私たちは神様に何を求めているでしょうか。そして私たちの信仰がどんな事で示されるように願うのでしょうか。イエス様はご自分のことを神様のみこころに従う十字架のことをもって示して下さいました。同じように、私たちの信仰も神様のみこころに従う生き方によって示されたいと思います。

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