礼拝メッセージ

8月14日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「強められる」              エペソ人への手紙6章10-13節
 今はオリンピックの真最中で、その競技に臨む選手たちの姿を見ますと、私たちの心もいつの間にか熱くなります。おそらくそれは優勝に対する選手たちの善意の格闘が真剣に行なわれているからだと思います。彼らは長い間、ただこの時のために一所懸命練習し訓練をして来ました。一つの目標を覚えて、それに集中して準備して来たのです。そのような選手たちの姿を見ながら、一つの目標のためにひたすら準備し、訓練を通して自分を強くして行く、鍛えて聞く姿がクリスチャンにも非常に大切で必要だと思います。
 パウロは、この手紙の最後において聖徒たちに霊的戦いについて説明し、それにどう臨むべきなのかについて教えて行きます。今まで説明して来たクリスチャンとしての姿、教理と実践を通してその霊的戦いに備えて来たのであります。その信仰の訓練課程を通って、最後には霊的戦いに臨むようになるのです。そのこの戦いは、悪魔の策略に立ち向かうことであり、天にいるもろもろの悪霊に対するものであるので、私たちが信者としてより徹底的に準備しなければなりません。ところが、悪魔に立ち向かう私たちの姿とは、まるで大人と子どもとの戦いのように見えます。如何見ても霊的存在である悪魔に対して信者の勝ち目は見えない戦いのようです。そんな私たちにパウロは「主にあって、その大能の力によって強められなさい」と言います。私たちがどんなに弱いものであっても、主にあってその大きな力により頼む時、その神様のみ力によって強められるのです。また、強められて神様からの武具を着けなければなりません。それも全ての武具を完全に身に着けて、小さな隙間もないようにしなければなりません。
 私たちはこの世の荒波の中でどんな姿で立ち向かっているでしょうか。ほえたける獅子のように、その獲物を探し求めている悪しき霊的存在に対して私たちはどのように準備しているのでしょうか。主にあって、神様のみ力によって強められ、神様からの全ての武具を身に着けて、どんな攻撃にも立ち向かって打ち勝つ者となりたいと思います。

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