1月17日(日) 礼拝メッセージ要旨
「光の子どもらしく歩む」 エペソ人への手紙5章7-10節
本日の本文でパウロは、エペソ教会の聖徒たちに彼らの変った状態、身分について語っています。それは、以前は暗やみであったが、今は主にあって光となった、ということです。このように暗やみと光を対比して、以前と今との変った状態を説明しているのです。クリスチャンである私たちは、以前は暗やみでありましたが、今は光となって、私たちは光の子どもであるということを覚えなければなりません。私たちが置かれている環境は、私たちが光となったという事実にはどんな影響も与えることが出来ません。私たちが神様の恵みによって、主にあって光となったという事実は変わらないことであります。
その後「光の子どもらしく歩みなさい」とパウロは勧めます。まず、光の子どもらしく歩むというのは、本文の9節に書かれていますように、「光の結ぶ実」が私たちの生き方に見えるのか、を持ってチェックする事が出来ます。「光の結ぶ実」、即ち、「あらゆる善意と正義と真実」が生き方を通して現わされているがどうか、通して聖徒自身の信仰の歩みを振り替えて見なければならないと言う事です。そして積極的な勧めとして「そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」と言います。これは8節からの内容を考えて見ますと「光の子どもらしく歩むためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」ということになります。神様が喜ばれることは何かを知り、そのために生きて行く事はクリスチャンのみに、与えられた大きな特徴の中で一つです。と言うのは、神様が喜ばれることが何であるかと見分けることは神様の子どもだけに許されることであるからです。
私たちは神様の恵みによって、暗やみから光となった者であることを覚えて、光の実を結び、神様が喜ばれることが何かを見分けて生きて行く者になりたいと思います。それで、光の子どもらしく歩んで行く者になりたいと思います。