12月27日(日) 礼拝メッセージ要旨
「御国への希望」 エペソ人への手紙5章3‐6節
本日の本文でパウロが語っている内容は、早く読み終えて次に行きたくなるところです。しかしパウロは、あえてこのような勧めをしているということを覚えなければなりません。すでに3章の方で出て来た内容でもありますが、それでもこのように繰り返しているというのは、それほど大事な事であり実践するのに難しいことであるからです。目をそらしたくなる内容ですが、聖徒として私たちが徹底的に捨てなければならないことを確認し、本文を通して私たちに希望を与えて下さる神様を見上げることができるようにと思います。
先ず、パウロは「口にすることさえいけない」ことについて説明します。この3節、4節に並べられていることは、この世の姿であるとも言えるでしょう。時に、当時のエペソという異教の社会では日常生活の中で見ることができる姿です。しかしエペソ教会の聖徒たちは、そのような過去の姿から神様に選ばれて区別されました。それが聖徒という意味です。彼らは、もはや神の国のものであって、神様に愛される神様の子どもとなったのです。ですから聖徒にふさわしく、過去の罪の姿は捨てなければならないということです。それを行なわないだけではなく、それを口にすることさえいけないとパウロは教えているのです。何故なら、「アリの穴から堤も崩れる」ということわざのように、ほんの小さいものであって、それによって全体が崩れ得るものであるからです。
ではどうしたらいいでしょうか。先ず、私たちは聖徒として「私は聖徒だ。私が神様によって選ばれて区別された者だ。私はこの世から区別されて神の国に属している者だ。」ということを覚えなければなりません。そして、そのような恵みを与えて下さった神様に感謝するのです。感謝するということは、神様がなして下さることが素晴らしいと思う事です。そしてそのことに満足して、それに相応しく行なうことです。神様がなして下さったすべてをありがたいと思って、残り僅かの2015年を感謝したいと思います。そしてその感謝を持って新しい2016年を歩み始めたいと思います。