礼拝メッセージ

10月11日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「歩んではならない道」         エペソ人への手紙4章17-19節
 エペソ人への手紙4章の前半では教会の一致について説明したパウロは、17節以降では聖徒の個人的な生き方について勧めて行きます。神様の召しに相応しい歩みについての説明ですが、本日の聖書ではしてはならない事について強調しています。特に17節の前半を見ますと「そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。」と、今までの述べて来た雰囲気を変えて、これから伝えようとする内容の重要性を強調しています。
 そのような口ぶりで語り始めたのは「もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」という事でした。むなしいとは、「生きる目的がない」とか、「目当てのない」という意味で、異邦人は生きる目的がないまま歩んでいるということになります。しかしクリスチャンには、神様がどのように選んで下さったのか、その選ばれた者をもってどのようにして教会を造り上げ、生きて行くべきなのかが教えられて来たのです。クリスチャンは、そのような生き方が出来る者として変えられたのでその道を歩みなさい、と勧めているのです。
 それでは、何故異邦人はむなしい心で歩んでいるのでしょうか。それは18節に書かれているように「神のいのちから遠く離れて」いるからです。それは、神様に関する知性が暗くなり、神様に関する無知とかたくなな心のゆえです。そして「神のいのちから遠く離れて」いる結果、神様を知らない人々はよりすさまじい状態になっているのです。そのような人生を「好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっている」と説明しています。何と恐ろしいものでしょうか。
 ところが、この手紙は異邦人にではなく、クリスチャンに送られたものです。というのは、クリスチャンになっても信じる前の異邦人のような生き方をして、そのような道を歩んでいるということになります。私たちはもう一度、神様が召して下さった目標を確認し、それに相応しい生き方へ変えられたいと思います。

礼拝メッセージ要旨一覧はこちら