9月6日(日) 礼拝メッセージ要旨
「召しに相応しい人生」 エペソ人への手紙4章1-3節
エペソ人への手紙の全体の構造を見ますと、今日の本文を基準として二つの部分に分ける事が出来ます。それは1-3章の前半、そして4-6章の後半です。前半では、今まで説明して来た通りに神様がどのような方であるのか、その神様が私たちのためにどんな事をなさって下さったのか等、主に教理について説明しました。そして今日の本文から始まる後半の4-6章では、前の部分での教理を基にしてどのように適用して行くのかについて説明します。即ち、使徒パウロは前半で説明したものが聖徒の実生活でどのように適用する事ができるのかを4章以降で説明しているのです。
その実践に置いて一つ目に出て来るのは謙遜です。謙遜とは、相手を自分より偉いと思うことであります。自分はへりくだり、相手は自分より優れた人と思うことです。二つ目は柔和です。柔和とは、優しくて穏やかな姿というイメージがありますが、自分自身の重要性や権威を強く主張しないことを意味します。そして次には寛容と忍ぶ事であります。寛容とは相手のことを深く思って寛大に受け入れられる広い心とい意味です。そして忍ぶこととは、言葉通りに忍耐深い事です。以上の四つ、謙遜と柔和、寛容と忍ぶことを考えて見ると、謙遜と柔和は聖徒自身に向かう内容であり、寛容と忍ぶ事は他の人との関係においての内容であることが分かります。
特に、「愛を持って互いに忍び合い」と語っています。その表現から神様に召された者たちは完全な存在ではないという事が分かります。互いに寛容を示し、互いに忍び合わなければならない存在ということです。結局、自分を含めてすべての人々が完全な存在ではないため、足りないところがあるという事を認識し、寛容を示して互いに忍び合わなければならないのです。弱い私たちですが、毎日、御霊の助けによって導かれて、神様に召された者として相応しく行なう者になりたいと思います。