礼拝メッセージ

5月24日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「近い者とされる」         エペソ人への手紙2章11-13節

 この手紙の受信者であるエペソの聖徒たちは、本来異邦人でありました。神様の救いの恵みに入ることが出来ない、救いの望みもなく、神様にみ怒りを受けるべき存在であったのです。ここで、パウロはそのようなエペソのクリスチャンの以前の姿を思い出しなさいと言っています。それは一体何故でしょうか。それは、救いの恵みをより強く覚えさせるためであると思います。以前の姿を思い出せば出すほど、今自分に与えられている神様からの恵みの有難さを知るごとが出来るからです。
 その以前の姿とは、どんなものであったでしょうか。過去のエペソのクリスチャンたちは異邦人であり、割礼をもっていない存在でありました。キリストから離れて、イスラエルに属していなかった者たちでした。約束の契約を知らなかった人々であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちであったのです。パウロはこうやって、過去のエペソのクリスチャンが置かれていた悲惨な状況を説明しています。これはエペソのクリスチャンだけではなく、引いて考えればすべての異邦人教会がもっている共通点でもあります。結局、キリストから離れてしまった存在であって、この世で何の望みのなく、ただ滅びに向かって走っている人生、そのような人生を送っている生き方をしていたということです。
 しかし、今ではそうではないということが本日の本文で宣言されています。以前には悲惨な状態で生きていたが、しかし、今は全てが変わったということです。神様から遠く離れていた私たちが、今はキリスト・イエスの中にあって、キリストの血によって神様と近い者とされたのです。私たちが神様からどれほど遠く離れていた者であったのか、私たちが神様とどのような関係にあったのかを覚えるのは大事なことです。私たちがそれを知る時、神様と近い者とされたということがどれほど大きな恵みであるのかをも知ることが出来るのです。自分の姿を振り返り、神様の恵みを頂いている者としてへりくだり、愛をもって互いに仕え合う者として生きて行きたいと思います。

礼拝メッセージ要旨一覧はこちら