10月5日(日) 礼拝メッセージ要旨
『神の愛』 マタイの福音書27章45~48節
本日の聖書はイエス様が十字架の上で、苦しみのゆえに叫ばれたことばです。イエス様は十字架に付けられる前に、ゲツセマネというところで祈られました。その時、イエス様はペテロとヤコブとヨハネを連れて行かれて、ご自分のこれからの道のための祈りを彼らに願いました。そしてイエス様ご自身も十字架の出来事を前にして苦しみに悶えて切に祈り、その姿をルカの福音書22:44では「汗が血のしずくのように地に落ちた。」と説明しています。イエス様のこのような姿を見ると、十字架という刑罰がどれほど耐えがたい苦しみであるのか、考えて見ることが出来ます。その祈りの後、イエス様は捕まえられて苦しみを受け、最後には十字架に付けられました。その十字架の上でイエス様は「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、神様に叫ばれたのです。
この時、イエス様は罪によって永遠の滅びに落ちるべき人間のために、代わりに罪を背負って十字架に付けられて神様に捨てられたのです。神様もこの瞬間、ご自分の愛するひとり子イエス・キリストを見捨てられ、イエス様の切なる叫びに何の答もされなかったのです。ひとり子をお捨てになった父なる神様、十字架の苦しみの中で叫び求めるイエス・キリストの叫び声に答えられなかった神様の御姿から、人間に対する限りない愛を感じることが出来ます。人間の理性では理解する事も想像することも出来ない愛なのです。
愛する子どもために自分の命を投げ捨てる親の愛も偉大なものでありますが、滅びるべき罪人のためにひとり子を渡して下さり、お見捨てになった神様の愛は人間の言葉では十分に説明出来ないと思います。その神様の愛について聖書では「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と現わしています。
今も、神様は測り知れない愛を持って私たちを愛しておられます。日々の生活の中で神様の愛を覚えて感謝をささげ、その愛の中で神様に喜ばれる道を歩もうではありませんか。