8月17日(日) 礼拝メッセージ要旨
「よろこびは主のうちに」 ルカの福音書15章11~32節
このたとえ話は、主イエスがお語りになったたとえ話の中でも、最も人によく知られたものです。ある人は「これは世界で最も偉大な短編である。」と語り、また「福音書中の福音書」とも言われてきました。登場人物が父と息子二人。この三人で展開されるこのたとえ話は、一般に「放蕩息子のたとえ話」と呼ばれてきました。しかしルカの福音書15章の三つのたとえ話に共通していることは、「失われたものが見つかった喜び」です。そしてこのたとえ話で、本当に喜んでいるのは父だけです。父こそ主役なのです。放蕩息子が帰ってきた。「いなくなっていたのが、見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」(ルカ15:32)と、今しなくてはならないことは、父と共に喜び楽しむことだと、言っているようです。しかもこのことばが、たとえ話の結びになっております。つまりこのたとえ話の中心、主題は、失われた魂が主のもとに立ち帰ることへの、喜びにあるのです。それゆえこのたとえ話は、「父の愛のたとえ話」と呼ばれてきました。では父の喜びの源である、放蕩息子の新しい生まれ変わりは、どのようにしてなったのでしょうか。何故彼は、自分の罪に気付き告白できたでしょうか。
告白するためには、自分の罪を知らなければなりません。罪の告白は自分の力で出来るものではありません。告白させてくださる方がいなければなりません。それは神さまです。それゆえ罪の告白をする者は、その告白の中で告白させてくださる神の恵みを感じ、その恵みに対する感謝の告白をするのです。さらに、このような大きな恵みを与えてくださった神に対する讃美の告白となるのです。そして、この救いの喜び、神に発見され、神のもとに帰る喜びを中心として、キリストの体なる教会が生まれてきたのです。