5月25日 日本長老教会設立記念講壇交換礼拝 伊藤京一先生
「金持ちとラザロ」 ルカの福音書16章19~31節
[19~21]二人の登場人 「ある金持ち」…彼は仕事もせずに毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 「ラザロ」…「神が助け(エルアザル)」の短縮形 彼は乞食であり、病気持ちであり、金持ちの家の門前で寝て暮らしており、金持ちの家の食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。彼は不遇な境遇であったが、イエスがあえてその名前をあげられたことで、神を信じる信仰を持っていたことが暗示されている。 [22~23]やがてラザロも金持ちも死んだ。ラザロの魂は御使い(天使)たちの手によって天国を意味する「アブラハムのふところ」に連れて行かれた。ところが金持ちは火の燃える「ハデス」(神の裁きの場所・地獄)で苦しんでいる自分に気が付いた。しかもはるかかなたにはアブラハムのふところにいるラザロが見えた。 ここで誤解してはならないのは貧乏人は必ず天国へ行き、金持ちは必ず地獄へ行くということではなく、ラザロは信仰を持っており、金持ちは門前のラザロの必要を無視してひとり贅沢な生活にふけっていたことからもわかるように信仰を持っていなかったのである。→箴言24:11~12 [24~26]天国と地獄とは交通不可能であった。 [27~31]金持ちは、それではまだ地上で生きている自分の五人の兄弟がこんな苦しみの場所に来ることがないように、ラザロを彼らの所に送ってよく言い聞かせてくださいと願う。しかしアブラハムは「彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです」と言う。「モーセと預言者」とは旧約聖書を意味する。要するに彼らは聖書に聞くべきだと言うのである。これに対して金持ちは、もし誰かが死人の中から生き返って行ったならば、彼らは悔い改めるに違いありませんと食い下がる。しかしこの願いに対してもアブラハムは「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない」と答えた。 今日のイエスの話は私たちへの警告である。いくら何不自由のない生き方ができていたとしても最後がこの金持ちの男のような結末になるのならば、それは永遠の悔いとなる。そのようにならないようにまず、私たちが救い主イエス・キリストに対する信仰を持って、次に私たちの家族や周りの人々へとこの救いの福音を伝えていく者となりたい。