5月4日(日) 礼拝メッセージ要旨
「ただ一人の正しい人」 創世記7章1~5節
創世記6章9節から始まるノアの歴史は、洪水の出来事と重なり合うようにして始まります。そのノアの洪水物語に主旋律のように繰り返し出てくる言葉があります。「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても全き人であった。」(創世記6:9)創世記の7章では、「あなたが、この時代であって、わたしの前に正しいのをわたしが見たからです。」(創世記7:1)そして、それぞれの段落の終りの言葉も同じ旋律で終わるのです。「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」(創世記6:22)「ノアは、すべて神が命じられたとおりにした。」(創世記7:5)ここに注目すべき言葉があります。「正しい」という言葉です。ではノアの「正しさ」とは何でしょうか。それは洪水の後、最初に彼が祭壇を築いて、犠牲の供え物を捧げた、その姿勢にあらわれております。(創世記8:20)ノアはそこで罪の悔い改めを表明し、その赦しを求める祈りを犠牲とともに捧げたのです。そういう人間として、ノアは神の前に「正しい人」として受け入れられたのです。そしてこの「正しい人」の究極の姿こそイエス・キリストなのです。主イエスは自分が何をしているのか知らない罪人の「罪を赦して下さい。」と、神に祈りつつ自分が犠牲の供え物となって、十字架の死を遂げられました。主イエスは、すべて主が命じられたとおりにされたのです。その姿を見てローマの百人隊長は、「ほんとうに、この人は正しい方であった。」(ルカ23:46~47)と告白し、神をほめたたえたのです。つまり主イエスの死の姿を見つめることで、自分がいかに罪深い人間であるかを知り、同時にこの方が自分の罪の身代わりに死んで下さったことを知り、主イエスへの信仰を告白し、神をほめたたえたのです。私たちもまた、主イエスの死を見つめ、自らの罪深さを知らされ、主イエスへの信仰が、より深められ、神をほめたたえる者として、主に従ってまいりましょう。