礼拝メッセージ

4月20日 イースター礼拝メッセージ要旨

 

「復活―この揺るがぬ事実」    コリント人への手紙第一15章1~11節

キリストの復活、それは私たちの信仰の土台です。そしてそれが、どれほど確かなものであるのか、パウロは、キリストの復活の出来事を通して、はっきりさせたいのです。キリスト教信仰の核心は何でしょうか。パウロは、「『キリストの十字架と復活』である。これが私たちが信じているキリストの福音の中心である。」(コリント第一15:3~5)と語るのです。特に『キリストの復活』は、パウロの個人的な体験と深く関係し、彼の生涯に決定的な影響を与えました。ですからここでパウロは、その個人的な体験を重要なこととして、次のように語り出すのです。「そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。」(第一コリント15:8)まさに強烈な言葉で語られています。パウロは自分がキリスト者として生まれた時、どのようにして信仰をもつようになったかを語っているのです。それは未熟児のように生まれたと告白し、さらに「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。」と、暗い過去を告白します。しかし、その自分を回心させるほどの圧倒的な力が復活のキリストとの出会いにあって、今こうして、キリスト者として生かされいる。それどころか、キリストの十字架と復活を伝える証人となっている。ですから「神の恵みによって、私は今の私になりました。」(コリント第一15:10)と、復活の主が、神の敵パウロを生まれ変わらせた、恵みの力強さを語るのです。パウロはここでキリストの復活について語りながら、実は自分はどうして、キリスト者になったかを語っているのです。『復活』を信じるということは、こんな自分がキリストを信じて生かされている。この事実を語らずにいられなくなるからです。ダマスコ途上で、復活された主イエスとの出会いこそが、キリスを信じる者の迫害者であったパウロを回心させた事実こそ、福音の真実を示す証拠であると、パウロは語らずにはいられなかったのです。私たちもまたキリストの復活を信じることによって、自分が神に赦されて、今こうして生かされている。これは『神の恵み』以外では、証明出来ないということに気付かされるのです。この恵みを知る者にとっては、死人を甦らせることなど、神にとって、易しいことなのです。それゆえ「死も生も…現在のものも将来のものも、わたしたちの主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない。」(ローマ書8:38~39)のです。

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