12月22日(日) クリスマス礼拝メッセージ要旨
「いのちの設計図」 ルカの福音書2章22~38節
今年の1月、NHKテレビが「終の住処はどこに―老人漂流社会」という、特別番組を放送しました.もはや自分の老後を自らの手で選べなくなってしまった高齢者たちが、病院や施設を転々とする「老人漂流社会」。「死に場所」さえ持てずに、老後の居場所を転々とせざるを得ない「孤立する高齢者社会」。誰もが例外なく「漂流」する可能性がある現代社会の暗部を描いた、衝撃的な番組でした。この番組の中で「普通に生きてきて、最後何でこんな人生になったんだろうね。」と力なくつぶやいた、ある男性の寂しげな表情が心に残ります。放送後、「他人事ではない。」という感想が、多く寄せられたとのことでした。この番組が訴えていることは、元気なうちに自分の老後の「いのちの設計図」を描いて欲しいということです。 さて本日、ルカのクリスマス物語に登場する二人の老人、シメオンとアンナの存在に注目しましょう。死に直面した人の心を最も苦しめることの一つは、「果たして自分の人生に意味があったのか。」という問いであります。この問いに「はい」と答えることができた人、それがシメオンでありアンナでした。シメオンは、「主のキリストを見るまでは、決して死なない。」(ルカ2:26)という「いのちの設計図」を持っていました。彼はその希望と神の約束に信頼しながら生きてきました。そして主のキリストを見た時、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」(ルカ2:29)と、言い切ることができました。老婦人アンナも、神に仕え幼子イエスを救い主として信じることができ、神に感謝しつつ、主イエスのことを語り、老いの日々を生き切りました。今私たちはどのように生き、どのように最後を迎え、そして死を迎えるのか。その時私たちは、シメオンやアンナの「いのちの設計図」に学ぶものがあることを思い起こしたいのです。