礼拝メッセージ

10月20日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「愚か者の説教」              ルカの福音書12章13~21節

人はみな貪欲のとりことされる危険を持っています。「貪欲」という言葉の原語の意味は、「もっと欲しいと思う心」です。あり余るものを持ちながら、なお欲しいと思う心です。しかしながら「もうこれ以上たくさん」と思えるほど、満足し切って、あり余るものを手に入れたということで、いのちを生きることができるでしょうか。命というのは、「「私たちの持ち物」が「有り余る」ほど豊かになることの中にはないと、主イエスの言葉が、ここで一挙に現代的な響きを持って、私たちに迫ってまいります。(ルカ12:15)そして、このことを分かり易くさせるために、あの有名な「愚かな金持ちのたとえ」を、主イエスは語られたのです。                          さてこのたとえ話の金持ちは、「さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」(ルカ12:19)と自分の魂に語りかけています。この「楽しめ」という言葉は「大いに喜べ」とも訳すことができます。「大いに喜べ」。そうです!彼は今、自分の魂に説教しているのです。救いのメッセージを語っているのです。福音とは喜びの知らせです。「大いに喜べ、わが魂いよ!安心するがよい。」彼は自分の魂にこのように福音を語ったのです。「これで私は救われた。これで不安、悩み、恐れから解放され、安心して私は生きていける。」彼はそう救いの確信を得たのです。しかし主イエスは彼に「愚か者」と厳しい言葉を投げかけられました。問題はこの男が自分に語りかけた説教に、本当に救いがあるかということです。今夜その男が死ぬ。その死ぬ男が一生懸命財産を蓄えてどうなるのか。その視点がこの説教からは、抜け落ちている。だからこの金持ちは「愚か者」なのだと主イエスは言われるのです。ですから私たちは、本日の最後の聖書箇所になる主イエスの言葉「神の前に富む」に注目しなければなりません。それは主イエス・キリストが貧しくなられて、私たちをあがないとって下さった救いの宝。そのことを信じることこそ、真の富であります。ですから私たちはその事のゆえに神を喜ぶことができるのです。まさに神の前に立ち得る豊かさであります。

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