9月1日(日) 礼拝メッセージ要旨
「カインは町を建て―都市と文明」 創世記4章17~22節
都市を最初に建てた者はカインでした。アベルを殺したカインに対する「地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」(創世記4:12)という神からの罪の宣告は、カインの上に重くのしかかります。「さすらい人」とは第一に、良心の安らぎのない人を意味します。カインは神の追及の前に終生おびえ続け、神の御顔を避けて、あてどなく逃げ回らなければなりませんでした。「さすらい人」とは第二に、生活の場を失う人を意味します。カインにとって土地は、のろわれたものであり、耕しても収穫を得ることができず、実らせる力そのものが失われてしまったのです。(創世記4:11~12)こうして「さすらい人」となったカインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住み、そこに町を建てたのです。(創世記4:16~17)「町」とは、人の群がる雑踏の場という意味です。都市の姿を意味する言葉です。カインにとって都市とは、まず彼自身にとって確かな居場所、自分の定住の地であったということです。次にそれは、人間がここでなら休らいでいられると、信じこむ場所でした。都市は人間にとって港であり、目的地でした。ここでついにカインは、さすらい人である自分の状況を忘れることができ、さすらいの旅に終わりを告げることができたのです。そして、最初に与えられた我が子に「エノク」という名をつけ、その町にも同じ名をつけたのです。(創世記4:17)「エノク」とは、「はじまり」という意味です。カインはここに始めて、自分の暗い過去を知らない、白紙の人間を得たのです。この子と共に新しい人生は始まるのです。エノクは父カインの前科にとらわれることなく、カイン家を築いてくれる創始者でなければなりません。カインはここに希望を持ちました。彼は生涯をかけ、また子々孫々にわたって町の繁栄を願うべく人口増加に励み続けたのです。(創世記4:18~19)それは、カインが今、自らの手で「のがれの町」を造り、人ごみの中に紛れ込もうとしていることを物語っております。こうしてカインは都市の雑踏の中に生きることによって、自分の過去を忘れようとしたのです。しかし、その町は、神を畏れなくなった社会、自分の意志と決断で生きる人間中心の社会となりました。すべてを自分で守らなければ、富もいのちも他人に奪われてしまうのです。その恐れを打ち消すために人はますます富と権力を、求め続けるのです。しかしそのような都市に生きる人間の精神性は貧しくなり、人は病んでいくのです。それは現代の世界状況、日本の現代社会を見ればおのずとわかることです。このような都市と、そこから生み出される文明、文化は、私たちを決して救うことはできないのです。むしろ、私たちは天にあるもっとよい都を待ち望むがゆえに地上では旅人または宿れる者なのです。「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。」(ヘブル13:14)