7月21日(日) 礼拝メッセージ要旨
「こころみの世にありて」 ルカの福音書11章1~4節
信仰を持って生き始めるということは、戦いが終わることではありません。戦いが始まることなのです。主の祈りにおいて、私たちがこの祈りをするのは、無防備でその戦いの中に赴こうとする私どもが、「私たちを試みに会わせないでください。」という祈りによって武装することを意味します。従ってこの祈りは自分自身の弱さを悟らせます。この祈りについてハイデルベルク教理問答の問127で「われらは生まれつき真に弱く、ひとときも立っていることさえできないのに、さらに悪魔、この世、私たち自身の肉という、われらの恐ろしい敵は休むことなく、襲いかかってくるゆえに、聖霊の力によってわれらを支え強くしてくださいということです。」と答えております。またこの祈りは、神の恵みは罪がどんな強力なものであり、私たちの生活から罪を犯す傾向を取り去っていないことを悟らせます。それゆえ「私たちを試みに会わせないでください。」というこの祈りが、日々私たちの心の中に位置を占めているのは当然なのです。私たちは何と無力なものでしょうか。主がその全能の力をもって悪魔の攻撃に対抗して下さるのでなければ、私たちは、たちどころに崩れてしまうのです。ですから 「こころみに屈するなかれ、屈せばそれは罪となれば、勝利の一つ一つはあなたを助け、さらに勝利へと携え行くなり。」 と歌われる讃美歌の歌詞のようにはいかないのです。試みに対するどのような勝利も、私たちを試みにあう前よりも強くすることはありません。キリスト者は、一度勝利を得たから、この次にも罪を征服することが出来るだろうと考えてはならないのです。私たちは、主イエスが公生涯の最初に試みを受けられたことを思い起こしましょう。(マタイ4:1~11)またその主イエスが公生涯の最後に、「誘惑に陥らないように、目をまして祈っていなさい。」(マタイ26:41) と語られたことを心に留めましょう。