7月7日(日) 礼拝メッセージ要旨
「荒れた庭―最初の家庭」 創世記4章1~8節
家庭は、人間の最高の幸せの場所であると同時に、最大の不幸の場ともなりうる。そうした事実の両面を直視させるのが、人類最初の家庭を描いた、創世記4章1~8節のカインとアベルの物語です。罪を犯したアダムとエバは、神との交わりを失い、エデンの園も追われてしまいました。しかし園の外にあってもなお、エデンの園を思い起こさせる「庭」を家の中に持つこと、すなわち「家庭」を築く喜びを、神はお与えになりました。しかしその喜びの庭が消滅しかかっているのです。家の中の庭が荒れ果てようとしているのです。創世記4章冒頭に描かれているアダムとエバの家庭に、兄弟殺しという思いもかけない事件が起きたのです。カインとアベルの物語は、人類最初の悲劇が「家庭」の崩壊であったことを物語っております。事件の発端は、最初の礼拝とささげ物が記されている聖なる場所で起こりました。自分のささげ物が、神に受け入れられなかったことを逆恨みしたカインが、弟アベルを殺したのです。兄弟が殺し合うという人間の罪の闇の部分を聖書は醒めた目で見つめております。その事実は、今私どもが住んでいる世界で、いろいろな形の事件として、現実に起こっております。こうして聖書は、カインの姿を通して、親子二代にわたり、罪と神への反抗によって転落し、さらに転落する人間の姿を描きます。アベルの死は人間の最初の死でした。それは自然死ではなく、病死でもなく、殺害による死とは、なんという人間の不幸でしょうか。 罪とは落ちること。光のすじのように、硝子の傷のように、するどい痛みにひかりながら、際限もなく落ちること。(高橋睦郎)