5月12日(日) 礼拝メッセージ要旨
「御名の栄光を現してください」 ルカの福音書11章1~2節
福音書が描くキリスト像は、主イエスは祈りの人であったということを、私たちに明らかにしています。ひとり祈るために「山に登られた」り、「寂しい所に退かれた」りされました。またどのように祈るべきかについて、山上の説教の教え(マタイの6章5節~7節)。また何を祈るべきかを、具体的に示された「主の祈り」(マタイ6:9~13)。そして祈りの姿勢について語られた譬え話(ルカ11:5~13)。さらに主イエスご自身の祈りの言葉として、ヨハネの福音書17章が伝えるあの「大祭司の祈り」など、福音書は祈りの人主イエスを、余すところなく紹介しております。その中でも特に「主の祈り」は、祈りの原型として、全てを包む祈りであり、完全な祈りです。その主の祈りにおいて、私たちが願う最初の祈りは、「御名があがめられますように。」です。この祈りは私たちの祈りの方向を決定し、その祈りの最終目的を指し示しております。ですから最初のこの祈りは、主イエスが最も大切にされ、熱心に願われたことでもありました。ヨハネの福音書17章の「大祭司の祈り」の中で、「わたしは…地上であなたの栄光を現しました。」(ヨハネ17:4)「わたしは…あなたの御名をあらわしました。」(ヨハネ17:6)と祈られました。またヨハネの福音書12章では、ご自身の十字架の死の時が迫っていることを自覚され、ご自分を一粒の麦に譬えられ、自分の死こそ、まことに豊かな実を結ぶ死であると語られた後、「今わたしは心が騒いでいる。不安に満ちている。この苦しい状況から救い出されたい。この不安に耐えられない。」(ヨハネ12:27)と言われ、それに続いてすぐに「しかし、わたしはこのためにこそ、この時に至ったのです。」(ヨハネ12:27)と語られました。そこには、「わたしは、あなたのみ心によって地上に生まれ、そのみ心に従ってここに生きる者です。今あなたのみ心が決定的に明らかになる、この時のためにわたしは生き続けてきました。」という主の思いが伝わってきます。そしてさらに、こう祈られたのです。「父よ。御名の栄光を現してください。」(ヨハネ12:28)このことを私たちは忘れてはなりません。「御名があがめられますように」という祈りの背後には、主イエスご自身の祈りの生活があります。そして、主イエスご自身が、その苦しみの最も深いところにおいて、ご自身の意志に逆らうようにして祈らなければならなかった祈りであったことを、私たちは想起し、その祈りの持っている意味の重さを、しっかりと受け止めましょう。