礼拝メッセージ

10月28日(日) 礼拝メッセージ要旨

 

「みことばに生きた人・ルター」      ローマ人への手紙8章35~39節

「宗教改革」それは、ひとつの時代が、一人の人物と密接に結びつけられた出来事でした。1517年10月31日、ドイツのヴィッテンベルク城教会の扉に張り出された「95箇条の提題」をもって宗教改革に立ち上がった人こそ、マルティン・ルターその人でした。ルターは神のことばに生きた人でありました。修道士となってからは、聖書の言葉と深く取り組み、その教えに忠実に従おうと努力しました。しかし、いくら努力をしても、これでよしという自覚は得られず、むしろ努力をすればするほど、絶望し行き詰まります。その絶望の中でルターは、神が二通りのことばをもって、人間に語りかけられていることを理解します。「律法」と「福音」です。「律法」は、人間として生きるに当たって「これを行え」「あれをするな」と命じる神のことばです。「律法」のことばを見つめ「完全」であろうと努力すればするほど絶望へと追い込まれるのです。律法によっては自分の破れ、罪の姿しか見えてこないのです。自分の弱さと徹底的に向き合う中で、あのローマ人への手紙1章17節の「義人は信仰によって生きる。」という神のことばに出会うのです。「信仰のみ」それだけが人間のなすべきことで、後はすべて恩恵と共に与えられる。ルターは聖書のもう一つのことば「福音」に捉えられ、確かな救いの根拠を得たのです。このようにしてルターは、ますます聖書の中心に目が開かれ、神との平和な関係が破れている人間は、キリストを信じる信仰によって、神との交わりに入れられるという福音の真理を人々に語り続けたのです。神のことばは前進し、またそれぞれの国の言語に訳されて、広がっていったのです。ルターは生涯をかけて、神のことばが生けることばであることを味わい、語り、体験した人でした。彼はある説教の中で「私はただ神のことばを教え、説教し、書いただけだ。そのほかに何もしなかった。みことばが何もかもしたのである。私は何もしなかった。みことばに働いてもらったのだ。」と語り、神のことばがどれほど、強力に働くかを知らしめたのです。                    1546年2月18日早朝ルターは狭心症と思われる病状で世を去ります。その死の床のかたわらには、一片の紙が残されており、それがルターの絶筆となりましたが、そこには「100年間預言者と共に教会を教会を導いたのでなければ、聖書を十分に味わったとは思えまい。」と書かれてありました。聖書のことばが示す真理を追い求め、伝え続けたルターの生涯の最後の言葉でした。

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