4月22日(日) 礼拝メッセージ要旨
「主よ献げます。私の愛を」 ルカの福音書8章1~3節
ルカの福音書は、「女性の福音書」と呼ばれております。ルカだけが主イエスと十二弟子の伝道旅行にお供し、仕えていた女性たちのことを書いているからです。確かにルカの福音書には最も多く女性が登場します。ここに主イエスや弟子たちの旅を支え、女性でなくてはできないような心くばりをもって主イエスに仕えていた女性たちがいたのです。日々の生活の煩わしさを全部身に引き受けて、いつも主イエスの傍にあった女性たちのことを、ルカは書き記すのです。この女性たちの存在なくして、主イエスの伝道は支えられなかったのです。主イエスは、その女性たちの奉仕に深い信頼を寄せられながら、ご自身の使命に生きられたのです。そしてこの姿は、今の教会にも受け継がれているのです。陰で隠れたところで、いつも配慮し、奉仕する人々がいる。その人々の働きが、教会の礼拝と交わりを支え、その中核となっているのです。これらの女性たちに共通していたことは (一)自分の持ち物を差し出し主イエスに仕え、奉仕したのです。 (二)この女性たちは、主イエスに救われた共通の思い出をもっていました。二節に「また悪霊や病気を直していただいた女性たち」とあります。従って奉仕とは、主イエスに救われたことに対する感謝からなされるものです。 (三)彼女たちの奉仕は、主の弟子として従うものでした。三節に「彼らに仕えている大ぜいの女たちもいっしょであった」とあります。彼女たちは、単に主イエスの一行に、物質的な面から奉仕したというだけではないということです。主イエスに従った者、広い意味で主イエスの弟子達だったということです。その確かな証拠として、あの十字架の場面でも、最後までいたのは女性たちだけでした。主イエスの復活の最初の目撃者も彼女たちでした。本当に弟子らしい振る舞いをみせたのは女性たちでした。彼女たちは、主イエスの十字架から甦えりの歩みまですべて、共にすることのできた人達でした。主イエスに救われたということに対する感謝と、それゆえにひたすら主イエスを愛するという、この共通の思いを持って、脇役にまわり、日々の雑事に徹したのです。しかし、このような女性たちによって教会は支えられ、前進していったのです。今日、女性たちの生活環境は大きく変わり、多くの自分の時間をもつことができる時代になりました。しかし、時代は変わっても、主イエスに仕え、従う姿は基本的に彼女たちとの違いはありません。あらためて教会における奉仕を見つめ直し、主イエスに従っていきたいものです。 「ナルドの壺ならねど、ささげまつる、わが愛、みわざのため、主よ、潔めてうけませ」(讃美歌 391)