10月16日(日) 礼拝メッセージ要旨
「あなたの名が呼ばれたのです」 ルカの福音書6章12~19節
日本の代表的なキリスト者内村鑑三の初期の著作に「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」という英文の著作があります。この書は彼がキリスト信仰に導かれ、キリスト信徒になるまでの証しの書であります。ではこの同じ題名で皆さんがご自分のことをお書きになるとしたら、どのように記すのでしょうか。キリストを救い主と信じ、キリスト者になられたのには、それなりの理由、出来事、経過があり導かれたのだと記述は出来ますが、それはあくまでもキリストによる救いに到る過程の証しであって、なぜ私が救われ、キリスト者となったのかという問いの答えにはなっていないのです。本当のところ私たちは、「なぜ私がキリスト信徒になったのか」ということについて説明がつかないのです。私たちにはわからないことなのです。本日の聖書の箇所は主イエスの12弟子選出の記事ですが、おそらく12弟子たちもなぜ自分がキリストの弟子に選ばれ、使徒となったのか、私たちと同じように説明できなかったと思います。唯一答えることができるとしたら、「主イエスが徹夜で祈られ選んでくださったからです」(ルカ6:12~13)としか答えようがないのです。選ばれた12人の弟子たちの顔ぶれを見てみますと、多種多様な人たちです。何か選考基準があって、その試験を受けて合格したから選ばれたのではありません。確かなことは、主イエスが深く御心を求め、祈ってお決めになられたということです。この事実は私たちのキリスト信仰、キリスト者生活を支える基盤です。私たちはキリストの救いに預かるために求め祈りました。しかしそれに先んじて主イエスが祈ってあなたを選び呼び寄せてくださったのです。ですから私たちが信仰や救いの確信、召命について疑ったり、信仰を捨て、教会を離れようと思った時は、いつもこの主イエスの祈りを想起しましょう。どんな時でも、この主イエスの祈りが私たちの信仰を支え守っていてくださることを忘れないようにしましょう。そのために主は、主日毎の礼拝に私たちを呼び寄せてくださり、そこで新たな力、励まし、喜びをいただき、私たちは新たな1週間のこの世の歩みへと遣わされていくのです。またこの12弟子たちは小さな群れであっても、それは教会の芽生えの姿でもあります。今主イエスのもとに集められた12人の弟子の間には、それぞれ能力、経歴、思想の違いがあっても、それらの違いを越えて、福音宣教という一つの目的によって結ばれていたように、未来の教会においては、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、キリスト・イエスにあって全体が一つの体として組み合わされていくのです。そしてシモンはペテロにレビはマタイにと新しい名をいただき、新しい歩みを始めたように、私たちも主との新しい関係に生きる者として、主との絆を大切に最後まで保ち続けましょう。