8月14日(日) 礼拝メッセージ要旨
「真の平和の証人―8月15日を迎えて―」 イザヤ書9章1~7節
敗戦後66年目の8月15日を迎えました。戦後の日本は平和主義を機軸として、国民が心を一つにして国の復興に励んできました。しかし、日本人の平和主義は、戦争はもうたくさんだという平和主義であって、本当の平和を作り上げる視点をなおざりにしてきました。それは戦争を直視し、その歴史にしっかりと向き合ってこなかったことでした。歴史の問題から逃げたのです。そしてバブルがはじけ飛んで、平和主義という意識がどんどん薄れてくる流れの中で、憲法改正の胎動が聞かれるようになり、「憲法九条を守る会」の組織が、またたく間に日本全土に広がりました。ここで私たちは「平和を守る」「憲法九条を守る」ということの意味を考えてみる必要があります。井上ひさしさんは『「平和を守る」「憲法九条を守る」というのは、私たちのいま続けている日常を守ることだ』と言っております。普通に生活し、普通に生きていく幸せを守ることが「平和を守る」「憲法九条を守る」ことなのです。日本は再び「普通に生きていくことの幸せ」が戦争によって奪われないために、新しい「日本国憲法」のもと、平和主義の道を歩んだのです。当時の文部省は「あたらしい憲法のはなし」という冊子を作って子どもたちに配りました。その中に、こんな一節があります。「いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただおそろしい、かなしいことがたくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。」私たちは、憲法九条の精神を世界に知らせる役割が日本に課せられていることを重く受け止めなければなりません。特にキリスト者は、その責任は重いのです。なぜなら真の平和とは何か、平和の意味を誰よりも知らされ、知っているのがキリスト者だからです。「平和の君」なる神の御子がこの世にお生まれになった時、「地には平和があるように」(ルカ2:14)と天の御使いたちは歌いました。キリストは分裂した世界の中で、新しい平和な関係をつくり出し、ユダヤ人と異邦人、奴隷と主人の間の敵意の壁が崩れ去り、キリストは私たちを「平和の道に導く」(ルカ1:77)ことを得させ、「平和をつくる者」(マタイ5:9)としてこの世に置かれました。そのために何よりも、私たちが神との平和な関係に生きる者でなければなりません。そして「平和の君」なるイエス・キリストに従い、平和をつくり出す人、真の平和の証人として生きる者でなければと心より願う者でありたいのです。