9月9日(日)礼拝メッセージ要旨
「見つけられる恵み」 ルカの福音書15章1〜10節
本日の本文にはなくしたものを見つけた時の持ち主の喜びについてのたとえ話が書いてあります。このルカの福音書15章には三つのたとえ話がありますが、4〜7節は「いなくなった一匹の羊」、8〜10節は「なくした銀貨一枚」そして11節以降には有名な「放蕩息子」のたとえ話があります。このような三つのたとえ話の共通点は、何かをなくしたということです。羊飼いは一匹の羊を、女性は銀貨一枚を、お父さんは愛する息子をなくします。しかし、そのなくしたことで終わってしまうことではなく、そのなくしたものを再び見つけてもとのところに帰ってきます。そのようなたとえ話の中で強調されていることは、なくしたものを必死に捜す持ち主の姿、そしてそれを見つけるためにどれほど努力するのか、また見つけた時の喜びがどれほど大きなものなのか、ということです。
その一つ目は4〜7節では、ここにはいなくなった一匹の羊のたとえ話が書いてあります。非常に有名な内容ですが、ここで描かれていることは、いなくなった一匹の羊を捜すために歩き回る羊飼いと、その一匹の羊を見つけた時に大喜びで帰ってくる羊飼いです。少し離れたところやそこら辺を捜してみていなければ言えて帰ってしますことではなく、必死に見つけるまで捜し、見つけた時には大きく喜ぶ羊飼いです。そして8〜9節ではなくした銀貨一枚を捜す女性の話しです。ここにおいてもその女性は「あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜す」のでした。また、銀貨一枚なのですが、それが見つかった時、羊飼いを同じように大きく喜ぶ姿が書いてあります。
このようなたとえ話を通して私たちはまず、私たちを見つけてくださる神さまを覚えることができます。羊のようであって、いつもさまよい、自分勝手に行ってします私たちを神様は見つけてくださるのです。そしてそんな私たちさえも喜んでくださる神さまです。私たちはこのような神様のことを覚えて力と励ましを頂きたいと思います。