9月4日(日) 礼拝メッセージ要旨
「実によって知られる」 マタイの福音書12章22-37節
本日の本文でイエス様は悪霊につかれた人を癒して下さいました。この奇跡を見た人々は二つの反応を見せました。先ず、イエス様の癒しの御業を見て群衆は「この人は、ダビデの子なのだろうか。」と言いながら驚きました。「ダビデの子」という表現は、旧約時代から神様が約束して下さったメシヤのことで、このイエスは私たちが待っていた救い主ではないだろうか、と期待に満ちた言葉を話した事なのです。一方、イエス様の御業を見て群衆の話しを聞いていたパリサイ人は「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と言いました。
その話しを聞いたイエス様は、パリサイ人の言葉に対して反論して行きます。3回にわたってパリサイ人が話したことが間違ったという事を説明して下さいます。そしてその最後には、神の御霊によって悪霊が追い出されることは神の国、つまり神のご支配があなたがたのところに臨んでいることを現わす素晴らしい御業だということを説明して下さいます。その後、パリサイ人の言葉はどのような心から出て来たのかということについて説明して下さいます。本文の33節の後半で「木のよしあしはその実によって知られるからです。」と仰い、パリサイ人が話した24節のことは彼の心の状態を現わしているということを教えて下さいます。特にその内容は聖霊に逆らうことであって、そのようなことをする者の罪は赦されないと大変厳しく語られました。何故なら、それは聖霊の働きを否定しその働きに反抗することであって、悔い改めない事だからです。
このイエス様の教えを自分の言葉使いに適用して行きたいと思います。自分の口を通して出て来る言葉で、自分の心やその思いがどのような状態であり、何によって満ちているのかが分かるのです。自分の言葉を通して自分の心のよしあしが分かるということです。ですので、教会の中だけではなく家族に対して、親しい人々に対しての自分の言葉を良く吟味し、良い木として良い実を結んで行きたいと思います。