9月4日(日) 礼拝メッセージ要旨
「真の家族への招待」 ルカの福音書5章27~32節
それはあり得ない光景でした。普段は人の気配もなく、ひっそりと静まりかえり、冷たく暗く、まさに死の家のようなレビの家から、はじけるような笑い声が聞こえてくるのです。家の中では、にぎやかな祝いの席が設けられ、底抜けの明るさが満ちていました。大勢の人々が楽しく和やかに語らい心を通い合わせているのです。「アルパヨの息子レビが取税人の地位を捨てて、ナザレのイエスに従い、マタイという新しい名前もつけてもらい、キリストの弟子として再出発したそうだ。その門出をお祝いして今大宴会が開かれている。レビの家に何が起こったのであろうか。」カペナウムの町の人々にとって、それは大きな驚きでありました。このようにキリストとの出会いは、そこにある種の驚き、衝撃を与えます。先の礼拝で取り上げました中風の人がいやされ立ち上がり、自分の家に帰った出来事が、人々をひどく驚かせ神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」(ルカ5:26)とルカが記しましたように、レビの身の上に起こったことも、人々に驚きを与えたのです。この衝撃的な出来事は、主イエスが「収税所にすわっているレビという取税人に目を留められた。」(ルカ5:27)ことから全てが始まりました。レビはこれまで誰からも見られたことのないまなざしで、自分が見つめられていることを感じました。さげすみ、軽蔑、裁きの目ではなく、自分を真実にいつくしみ、自分を生かす、今まで出会ったことのないまなざしで見つめられる体験をしたのです。しかも、彼の心が神の方に少しでも向いている所ではなく、収税所にすわって、お金を数えている最中に、これで今日はいくら儲かったかと欲のとりこになっている時、いわば罪を犯しているそのど真ん中にいるレビを見られ、「わたしについて来なさい。」とお呼びになられたのです。「するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。」(ルカ5:28)のです。それは単に地位、名誉、財産を捨てたといった以上に、これまでの彼の考え方、生き方、価値観の全てを断ち切り、新しい人生の一歩を踏み出したことを意味します。この変化はレビにとって大きな喜びをもたらしました。彼はすぐに大勢の人たちを招き、祝宴を開いたのです。レビはここに至って始めて主イエスのお言葉「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」(ルカ5:31~32)の意味をかみしめながら、「そうだ。自分は病んでいたのだ。罪に病んでいた。それを主イエスが治して下さった。私にとって必要なのはこの方であって、この私を招くために主イエスは医者となって、私のところに来て下さったのだ。」その恵みを覚えた時、レビは全く新しい目で自分を見つめ、仲間を見直したのです。そして自分がそうであったように、彼らも主イエスのもとに招かなければならない。その使命のために、レビはマタイという新しい名前をいただき、キリストの弟子として歩み始めるのです。それは、彼が真の神の家族という絆に生きる喜びを味わった時でもありました。