9月2日(日)礼拝メッセージ要旨
「罪を見過ごしてくださる神」 Ⅱサムエル記12章7−13節
本日の本文はあの偉大なダビデが、あの信仰深いダビデが罪を犯してしまった、ということがナタンによって暴露される内容です。その罪というのは、本文のすぐ前の11章に書いてあるダビデの姦淫と殺人の罪です。ある日、王宮の屋上を歩いていたダビデは、一人の女性が体を洗っているのを見ました。彼女について調べたら、自分の部下ウリヤの妻であることが分かりましたが、ダビデは彼女を自分のとろこに呼び、姦淫の罪を犯します。その後、彼女がみごもったことを知り、それを隠すためにウリヤを家に帰らせますがダビデの思う通りに行かず失敗してしまいます。結局、ダビデはウリヤを最も激しい戦場に送り、ウリヤが死ぬようにしました。その後、ウリヤの妻、バテシェバを迎え入れ、ダビデの姦淫と殺人の罪はそのまま隠されるようです。
しかし、そのすべてを神様はご覧になっておられ、ダビデのところにナタンを遣わし、その罪を指摘します。ナタンは一つのたとえ話を通してダビデの罪が死刑になる程、深刻なことだということをダビデに告げます。そしてダビデの罪がどんことなのか、詳しく説明しますが、それは「あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。」ということでした。そこまでダビデは自己弁明をしていたかもしれません。自分の罪の責任を他の人のせいにして、自分は悪くないのだ、と思っていたかもしれません。しかし、そのダビデに神様がダビデの罪を指摘し、罪を教えてくださったのです。
その話を聞いたダビデはすぐに「私は主に対して罪を犯した。」と自分の罪を認め告白しました。そしてそのようなダビデに対して神様は「あなたの罪を見過ごしてくださった。」と赦しを与えてくださったのです。神様がダビデの罪を指摘し、罪を悟るようにしてくださった理由は他ではなく、その罪を赦してくださるためでした。私たちが何か罪を犯してしまった時、それを知りましたら、このような赦しの神様のことを覚えて悔い改めましょう。私たちの罪を赦してくださる神様、その神様が喜ばれる道を歩んでいく者になりたいと思います。