礼拝メッセージ

8月4日(日)礼拝メッセージ要旨

 

「神とともにいる旅人」            詩篇39篇1〜6節
人生を真剣に考えるようになるきっかけはどのようなことがあるでしょうか。色々なことがあると思いますが、多くの場合は自分の死を直視した時に、または死を認識した時ではないか、と思います。しかし、人々は死ということについては関心もなければ、死について話すことも嫌がってその内容から避けます。死ということは誰にも必ず訪れることです。今も私たちに向かって近づいています。それ以上確実な現実はないのに、多くの人々は死について考えず準備もしません。しかし、死を認識する時、人々は自分の人生をより真剣に考え、より意味深く生きていくことができると思います。本日の本文である詩篇39篇の背景は、ダビデの晩年に死を前にして書いたものだと考えられます。自分の人生を振り替えて見ながら、神様のみ前で悔い改める詩だと思われます。
ダビデは幼い時からイスラエルの王になるまで紆余曲折がありました。色々な経験を経ってからイスラエルの王になったダビデでしたが、王様としての40年間も決して平坦な道ではありませんでした。そのような人生を生きてきたダビデは自分の死を前にした時に、その人生について真剣に考えるようになったことだと思います。そんな中でダビデは自分の人生について「あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。」と告白します。人生において時には花が咲くように栄える時もあれば「草はしおれ、花は散る」時もあります。そんな中で信仰者である私たちは、私たちの人生は旅人のようであることを覚えて、最善を尽くして生きていかなければならないと思います。
そして永遠を準備しなければなりません。私たちの人生は手幅ほどくらいの短いものですが、しかし神様とともにいる時、希望があり永遠の命が与えられます。人生のはかなさを知り、神様に望みをおいて生きていくこと、これは信仰者である私たちに与えれた祝福だと思います。旅人のような人生、しかし、神様がともにいてくださることを覚えまして感謝と喜びの中で歩んで行きたいと思います。

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