8月30日(日) 礼拝メッセージ要旨
「キリストの愛」 エペソ人への手紙3章17-21節
本日は前回に続いて、パウロのエペソ教会の聖徒たちのための祈りを通して「キリストの愛」について、そしてその愛を知るようになるクリスチャンが目指すべき姿は何かについて考えて見たいと思います。
先ず、パウロはエペソ教会の聖徒たちのために「キリストが、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように」と祈ります。ここで「心」というのは、その人の人格の真中です。そして「住んでいる」というは、一時的に滞在するのではなく永遠に住むという事です。ですから、パウロの祈りは「キリストがクリスチャンの心のうちにずっと住み続けますように」という事です。それは、キリストが心のうちに住んでおられて、その一生涯の生き方が、キリストが生きることのようになる、と祈る事です。そのように生きるために、私たちはキリストの愛に根ざし、キリストの愛に基礎を置かなければなりません。
それではキリストの愛、その広さ、長さ、高さ、深さはどれほどのものでしょうか。パウロは、キリストの愛について「人知をはるかに超えた」ものであると言いながら、それを知ることが出来るようにと祈っています。即ち、人間の理性では知ることが出来ないほどの大きな愛であることを知ることが出来るようにと祈っているのです。キリストの愛というのは、その広さ、長さ、高さ、深さが計り知れないものであって、それほど大きなキリストの愛に根ざして基礎を置いて、目指すところは、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、満たされることであります。これがクリスチャンの究極の目標です。
「信じる」というのは、この満たされるところまでの始まりであります。キリストを信じることによって、キリストが私たちの心のうちに住んでいてくださいます。そして私たちの信仰がキリストの愛に根をおろして成長して行く事によって、神様の満ち満ちたさまにまで満たされるのであります。私たちにどんな試練や問題があっても、私たちを満たして下さることを信じて祈るものとなりましょう。