8月3日(日) 礼拝メッセージ要旨
「命は神のもの」 創世記9章1~7節
童謡詩人「金子みすず」の詩に、「お魚」と題する短詩があります。 「海の魚はかわいそう お米は人につくられる 牛は牧場で飼われる 鯉もお池で麩をもらう けれども海のお魚は なんにも世話にならないし いたずら一つしないのに こうして私に食べられる」 この詩には、人と動物、植物のいのちの区別はありません。みすずは人のいのちと魚のいのち、どちらが大切かというのではなく、いのちは同じということを歌っているのです。そしてこれらのいのちをお造りになられた神さまは、これまで草食だった人間に(創世記1:29)本日の箇所で肉食を許可しておられます。(創世記9:3)しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならないのです。なぜなら血は命であり、その命は、神さまのものだからです。このようにして私たちを創造された神さまは、いのちを守るためには、他の弱いいのちを食べなければならないという、根源的な悲しみを私たちに与えられました。もう、これ以上の悲しみをつくらないように生きなさいということです。そしてこの大切ないのちについて記されている創世記9章1~7節は、神さまが創造の始めに人類を祝福された「生めよ、ふえよ。地を満たせ。」(創世記1:28)という言葉で始まり、同じ祝福で締めくくられているのです。「生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」(創世記9:7)と神さまに祝福された人間、それは、洪水という裁きを経て、罪を悔い改めて、献身の礼拝を捧げるノアとその子どもたちでした。私たちキリスト者は、キリストの死という罪に対する完全な裁きと、キリストの復活という新たな創造の御業に、信仰によって与えられた者たちです。そういう私たちに、神さまは今日も新たに祝福を与え、キリスト者が地にふえ広がるべく励ましてくださるのです。