8月21日(日) 礼拝メッセージ要旨
「主の前に置かれた信仰」 ルカの福音書5章17~26節
この度の東日本大震災で、人々が忘れかけていたある言葉が見直され、掛替えのない言葉になりました。「絆」という言葉です。人々はこの大震災を通して、私たちが「ひとりであって、ひとりでない」ことを、愛する人達を失ったことによって知らされ、また日本全国、世界各国からの援助、支援の手が差し伸べられたことを通して、自分たちは深い絆によって結ばれて生かされていることを肌身に感じ、「絆」の大切さに気付かされたのです。今朝の箇所も、四人の友人たちとの絆によって、新しく生きる喜びを与えられた中風の人の話です。彼らは「イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。」(ルカ5:17)ううわさを耳にし、中風の人の病気を直して欲しい一心から、主イエスのもとに運び込み障害を乗り越え、結果的にはその目的を果たすことができ、「彼は…寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。」(ルカ5:25)のです。この絆によって結び合わされた四人の友人たちの一連の行動について、主イエスはそれを「彼らの信仰を見て」(ルカ5:20)と言われました。「かれらの絆を見て」ではなく「信仰」と言われたのです。その理由の第一は主イエスに期待して、前に進ませる力こそが信仰そのものだからです。第二に困難な状況を打開し、今までの経験と知識を越えて、新しい道を示されるところに信仰の姿があるからです。第三にそれは愛の業を生み出すものだからです。彼らが労力を惜しまず障害を乗り越えて、病人を主イエスのもとに置こうとしたのは、何とかして直してあげたいという愛から生み出された愛の業であったからです。そして主イエスが中風の人に言われた言葉に注目しましょう。主イエスは「友よ、あなたの罪は赦されました。」(ルカ5:20)と言われました。中風の人が求めたのは病気のいやしでした。ところが主イエスは罪の赦しを与えられました。「赦されている」という確信は、私たちを自由にし、前向きにします。中風の人はこの赦しの言葉に続いて、「起きなさい。家に帰りなさい。」(ルカ5:24)という言葉によって、「神をあがめながら自分の家に帰った」(ルカ5:25)のです。からだのいやしが神への賛美に結びつくこと、ここにキリスト信仰の特質があります。彼は主イエスとの出会いを通して、神の大いなる恵みの世界が彼の前に開かれました。それは「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」(ルカ5:26)という出来事でもあったのです。まさにこの出来事は「今日」という時間の中での事でした。主イエスとの出会いは、きびしい時間的制約のもとで起こります。それだからこそ、この一回限りの時間の中での決断が大切なのです。そのために教会の働き、私たちの奉仕のすべてが、(Ⅰ)「人々の真中におられるイエスの前に(ルカ5:19)新しい方々をお連れするという使命と、(Ⅱ)主イエスと出会った方々が「神をあがめる」生活へと方向転換するように祈り、支え、導く私たちの責任を覚えましょう。