礼拝メッセージ

8月20日(日)礼拝メッセージ要旨 フランク・ハレル宣教師

 

「天の御国の価値観:恵み」         マタイの福音書20章1〜16節

マタイ19〜20章では、イエスはエルサレムと十字架に向かっておられます。その間、イエスは弟子に自分の価値観について考えさせます。弟子はお金や力を持っている者が大切だと思っていますが、それに対して、イエスは天の御国は子どものような者のものだと主張され、先にいる者は後になり、後にいる者は先になると教えられます。
マタイ20:1〜16のたとえ話によって、天の御国の価値観を示されます。天の御国で重要なのは、私たちの行いではなく、神様の恵みです。イエスはこのたとえ話を通して人間の心ついて教えられます。人間の価値観とは、行いによって神に受け入れられるということです。しかし、イエスは神がご自分の恵みによって私たちを救ってくださると教えられます。
たとえ話では、イエスは天の御国は家の主人のようなものだと言われます。不思議ですが、主人は5回市場に出かけ、五つのグループの労働者を雇います。一つ目のグループは朝6時に雇われ、一日中働きます。最後、主人はまた昼5時に出かけ、誰も雇わかったグループも雇ってくださいます。これは主人が自分の必要のためではなく、労働者の必要のために出かけ、彼らを雇うことを示します。仕事が終わると、主人の決まりで労働者はみんな1デナリを受けます。一つ目のグループはこれについて文句を言い、それに対して、主人は働けた分によるのではなく、最後のものに同じ分を与えたいと説明します。これは神の罪深い人間に対する心を示します。
神の御前に、人間はみんな罪人で、さばきに値します。しかし、恵み深い神は、罪深い人間を愛してくださいます。その恵みは、神の御子イエス・キリストの私たちの身代わりとしての十字架上の死によるのです。人間はキリストにある恵みによってのみ神と和解させられます。全ては恵みによるので、先も後もありませんし、クリスチャンは神の恵みを妬まず、自分と他人に他する恵みをほめたたえることができます。さらに救いは行いによるのではなく、恵みによるので、信じるものはみんな神に愛されている確信を持つことができます。

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