8月12日(日)礼拝メッセージ要旨
「キリストについて行く」 ルカの福音書14章28-35節
本日の本文は、前回のる会の福音書14章25節以降で教えられたイエス様の弟子になることへの教えの続きです。14章26節では自分の家族と自分のいのちまでも憎まない者は、イエス様の弟子になることが出来ないということが、そして27節では自分の十字架を負って付いて来ない者も、やはりイエス様の弟子になることが出来ない、と言うことが言われました。28節以降はその三つ目になりますが、そこにおいてイエス様は例え話しをしてくださってイエス様の弟子になることについて教えてくださいます。
先ず、イエス様は塔を築こうとする時の話してしてくださいます。その話しではある事を始める時は、始める前に費用などを十分に考えた上で始めるということです。そうしないで何も考えずに始めたら途中でやめざるを得なくなり、それでは周りから笑われる者になるしかない、ということです。そして二つ目の例え話しは、戦いを交えようとする時の話しです。その時に敵の力、兵士の数などを十分に考えて勝ち目があるかどうかを決めるべきだ、ということです。この二つの例え話しの中で共通に強調されていることは「まずすわって、十分に考える」ということです。ですから、イエス様の弟子になる者は、弟子になることを十分に考えなければならないということです。その道がどれほど大変なのか、どれほど大きな犠牲を払わなければならないのか、そして弟子になる者はいつも悪魔から攻められることになることをも十分に考えてイエス様について行かなければならないということです。そのことをよく考えて、そしてどんな場合においても、何よりも誰よりもイエス様を愛する者、イエス様を第一に大事に思う者になれば、その人は塩気を保ち、良い塩として用いられるようになります。
私たちはイエス様の弟子としてクリスチャンとして、イエス様について行かなければなりません。その時、先に歩まれたイエス様のお姿を覚えて、そのお方に学んで、その足跡をついて歩んで行く者になりたいと思います。