7月28日(日)礼拝メッセージ要旨
「イエス様と共に行く」 ルカの福音書18章31〜34節
本日の本文は、イエス様の受難の予告の内容です。イエス様の受難の予告は3回出てきますが、その中で3回目になります。ところが、その話しを聞いていた弟子たちの反応は「何一つ分からなかった」ということでした。イエス様はご自分の受難について、弟子たちに3回も話しましたが、弟子たちはそれについて何一つ分からなかった、というのはどういうことでしょうか。本文に出てくる弟子たちの反応と、その弟子たちに対するイエス様のことの考えて見たいと思います。
先ず、イエス様は弟子たちに「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。」話されました。この時は、すでにエリコの町に近づいていまして、19章の後半では「宮に入られた」という表現がありまして、もうすぐエルサレムに入られるところでした。そしてそのエルサレムでイエス様を待っていたのは、十字架の苦しみであります。十字架の苦しみというのは、イエス様にとっても大変なことでありまして、ゲツセマネの園でのお祈りのお姿を考えて見ますと良く分かります。イエス様はそのことを覚えて弟子たちにこれからの事を真剣に話された思われます。そして以前の2回より、受難について詳しく話してくださることでした。
ところがそれを聞いていた弟子たちの反応は「何一つ分からなかった」ということでした。何故弟子たちは何一つ分からなかったのでしょうか。それは弟子たちが持っていたメイヤ像が正しくなかったからだと思います。それは、イエス様のことを政治的、軍事的メシヤだと思い、イエス様によりイスラエルが解放されると思っていました。ですから、幾らイエス様はご自分の受難について弟子たちに話されても、弟子たちはそのようなことは起こるはずがない、と思っていたことだと思います。しかし、このような弟子たちにイエス様は、エルサレムに共に行くことを話してくださいます。それは、将来、弟子たちが復活の証人として歩んで行くことを覚えてのことだと思います。そしてイエス様は、私たちにも共に行こうと話ししてくださいます。そのイエス様に励まされて証人としての道を歩んで行きたいと思います。