7月26日(日) 礼拝メッセージ要旨
「与えられた恵みの目的」 エペソ人への手紙3章7−9節
私たちの人生の目標を知り、その目標に焦点を合わせて生きていくならば、一つの目標に向かって力強く進んで行くことが出来ます。それはまるで虫眼鏡のようだと思います。真昼の暑い日差しは、そのままなら熱いだけです。しかしその光を虫眼鏡で一箇所に集めると、即ち一つに焦点を合わせると、紙をも燃やすことができるようになります。私たちに対する神様がもっておられる目標を知り、その目標に私たちの人生の焦点を合わせて生きていくならば、私たちは神様が喜ばれる人生を生きていくことができると思います。
先ず、私たちは福音に仕える者として神様に選ばれたということを覚えたいと思います。パウロ自身は「神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって」と言います。その言葉には、パウロ自身からのものは一つもありません。自分の使徒としてのすべての活動は、ただ神様の力によることであり、異邦人に福音を伝えることが出来たこともただ神様の恵みの賜物によるのだ、ということです。このように、神様の力の働きと神様の恵みの賜物によってのみ、私たちは神様に仕えるものとされるのです。
ではなぜ、神様は私たちを仕えるものとしてくださったのか、その理由の一つ目は、キリストの測りがたい富を異邦人に、即ち神様を知らない人々に伝えるためです。そして二つ目は、神様が天地を創られる前からもっておられた救いのご計画が、どのように実現されたのかを明らかにするため、ということです。
私たち一人、一人はパウロのように福音に仕える者とされました。それは神様の力により、神様の恵みによるものです。そして私たちが救われたこと、そのもの自体がキリストの測りがたい富と神様のご計画が実現されたことを現すものであります。そのようなものとされた私たちを通して、神様は今も 神様を知らない人々に福音を伝えるようにしておられるのです。