7月24日(日) 礼拝メッセージ要旨
「主は天におられる」 エペソ人への手紙6章5-9節
前回は6章5-8節を中心として奴隷への勧めについて考えて見ました。そのように奴隷への勧めをした後、パウロは9節で主人への勧めをしています。このような内容から、主人への勧めはたった1節しかないと思われるかもしれません。しかし、パウロは主人に対して「あなたがたも、同じようにふるまいなさい。」と言って、実際の主人への勧めの内容を見ますと5-8節の内容をも含んでいることが分かります。
当時の奴隷とは主人の財産の一部であったし物のように取り扱いされました。まるで生きている農機具のような存在であった、主人の思うままにすることが出来ました。それほど奴隷に対して主人とは絶対的な立場にいて、まさに主であったのです。そのような主人に、「恐れおののいて真心から」、「キリストのしもべとして、心から神のみこころを行なうように」、そして「善意をもって仕えるように」あなたも奴隷に対して同じように接しなさい、と勧めているのです。
何故、主人はそのようにいなければならないのでしょうか。それは「主が天におられる」からです。それは奴隷にも主人にも、真の主であられるお方が天におられるので、そのお方を覚えなさいという事です。この天におられる主であられる神様の存在を見失ってしまうと、人間は自分が相手の主であるように振る舞いやすいからです。そうならないために、主人も天におられる主を覚えてその主なる神様の御前に立つ者として、主に従うように奴隷にも接して行きなさいという事です。そして天におられる主は「人を差別されることがないことを知っているから」です。天におられる主が、奴隷も主人も差別されることなく同じく憐れんでくださるのに、如何して人間であるあなたが奴隷を差別するのか、という事です。
この主人に対する勧めにおいても「主に従うように」という事が前提にあって、その主が天におられることを覚えてクリスチャンとして神様のみこころを行ないなさいという事です。私たちは置かれている状況の中で、それがどんな立場であったも、ただ天におられる主を見上げ、その主に従うように歩んで行く者になりたいと思います。